公開書簡⑥(時間と空間について)

公開書簡
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時間と空間について

 人間はまだ時計のない時代に、最初どのような経緯で時間という概念を獲得したのでしょうか。それはやはり、昼という明るい期間と、夜という暗い期間の繰り返しを積み重ねることに何か意味があり、周期現象の積み重ねは経過を表すことであると感じたのだと思います。季節の繰り返しということもあると思います。人間の存在と時間には、重要な関係があると思います。それは人間には寿命があるからでしょう。昼と夜を作ったのは、神が人間に時間の存在を知らせるためではなかったのではないでしょうか。昔の人々の重要なサイエンスは暦をつくることでした。

 空間は三次元的な位置という情報を持っています。また、空間は物質の動きに基準を与えます。空間において、座標だけならば、自然数には際限がありませんので、無限の広さを設定できます。ただし、人間が必要とする具体的な位置を示すためには、距離というものが必要であるために、具体的な時間が発生します。現実世界において、人間がかかわることで、具体的な時間が発生するということは結果的に有限ということになります。

 人間にとって重要であるものとは、距離もしくは時間という単独なものではなく、速さという単位を持ったものです。速さは、時間と空間の位置を表す二つの要素を持っていて、その統一体に意味、もしくは、価値があります。広大な宇宙での距離を示すためには、真空中における不変の速度(光速不変の原理・≒30万キロメートル毎秒)の光の速さを利用して、光年という単位を用います。人間がかかわることができる、最も速いものです。

 また、地球上においての距離、例えば10㎞には時間の単位がありませんが、時速10㎞で移動すれば1時間という有限の時間が発生します。人間が具体的な長さ(距離)を必要とする場合、時間という概念の必要性が発生します。

 人間には、現実世界において実体物として存在するために時間が与えられていると思います。単に認識できるというだけならば、背景や風景、たとえば、空の雲、遠い山並みや街並みなどとなって、時間と隔絶されて単なるにぎやかしのような背景となり、多少遠近感がある二次元的な存在となんら変わりなくなってしまいます。時間は人間にとって現実世界で活動するために「全能の神」から与えられた恵みであり、命であると思います。

 時間は、人間が物事を動かす原動力であり、自らが活動できるという自覚が与えられるもので、物理現象から発見されました。昼夜の繰り返し、月の満ち欠けの周期、四季の繰り返し、日時計による影の移動、夜空の星や星座の動き、心臓の鼓動など現実世界の繰り返しの現象として表現されています。これらは命の脈動みたいなもので、規則的な変化を積み重ねることによって認識できるものです。人間にとって価値があるもの、かかわりを持ちたいときは、時間の概念が発生します。速度には限界があり、光速不変の原理より約30万キロメートル毎秒が現実世界において最も大きい値とされていて、距離と時間の関係が成立しています。自らにとって対象物が時間との関連性が成立すると、その事実が三次元的な実体物として浮き上がってきます。ビッグバン宇宙論は1965年に発表されましたが、時間の始まりは138億年前とされました。時間の役割は、「いつ」ということを確定することで具体的な距離を発生させて、三次元の実体物となります。

 最初に自分が移動できる速さがあり、次に、その要素である時間、距離もしくは位置が発生します。昔の人間は、手の長さや肘の長さ、手のひらの長さなど、体の機能や体の一部の大きさを基準にしていました。

 サー・アイザック・ニュートンは近代科学の父といわれます。ニュートンは、空間は絶対であり不変なもので、空間は何もない舞台のようなものであるとしました。また、物質の運動と空間は、互いに影響し合うことはないと考えました。著作、『自然哲学の諸原理』において、万有引力という考え方の公表を行いました。絶対時間や絶対空間という概念を用いて、現象を数式で表現しました。

 時代は過ぎて、20世紀になると、アルベルト・アインシュタインは、それまでの物理学の認識を根本から変えるような提唱をされ、当時において最高の物理学者とも評されました。時空の概念は、光の性質を根拠として作られたものであると思います。真空中の光の速度は一定であるところから時空と光の速度との関係性が考えられ、時空は柔軟であり、時間と空間は独立した存在ではなく統一体である、としました。ニュートンでは解明できなかった重力が発生する仕組みや、また光と時空の関係など、様々な現象を解明しました。

 現代におきましては、量子論、量子力学というものが台頭してまいりました。ニュートンやアインシュタインのケースとは違い、超微細な領域の話です。19世紀までは、ある時刻での物体の位置と運動量とニュートンの運動方程式があれば、その後の運動が確定できるとされていました。しかし、微細領域での電子の運動では、位置と運動量が同時に確定できないという事情のために、ニュートンの方程式は使えず、特別な量子力学の方程式を使わないといけないことがわかりました。微細領域の特性である、量子の世界における測定とは何か、という根本的な観測者に関する問題や、「量子もつれ」と呼ばれる状態にある離れた二個の粒子の間の不思議な遠隔作用の問題などとも関連していて、時空関係では、量子の世界は、現代におけるさまざまな疑問やパラドックスの源泉となっています。

 このような研究、いわゆる「近代科学はなぜ西欧にのみ興ったのか」という疑問について、論じられることがありますが、その答えは、イエス・キリストに寄り添ってきたからであると思います。彼らは相当以前から、イエス・キリストが「空間主管性」の主管者であるということに気がついて、実行してきたからであると思います。

 空間や構造に関する空間主管性とは、空間、または物の構造に関する超越性であります。人間がイエス・キリストを十字架にかけて殺してしまったのにもかかわらず、全能の神がイエス・キリストを復活させてくださったために、復活されたイエス・キリストの権能として現実世界から、アクセス可能なものとなりました。

 時間的主管性とは、時間に関する超越性であります。人間がイエス・キリストを十字架にかけて殺してしまったので、神は現実世界において、物質としての存在基盤をなくしてしまったために、時間主管性は封印されてしまいました。

参考にさせていただいた文献

*教文館「科学が宗教と出会うとき」  I.G.バーバー

*医学書院「脳科学のスピリチュアリティ」 マルコム・ジーブス+ウォレン.S.ブラウン

参考させていただいた文献から、気になった部分を一部抜粋して、編集し以下に記載しました。

 今回参考にさせていただいた「科学が宗教と出会うとき」の著作者であり、アメリカの物理学者、神学者でもある、I.G.バーバー(Ian Graeme Barbour)は、この本の中で次のように発言しています。

 「微視的水準のあらゆる箇所の臨在を含めて、神があらゆる場所に偏在するならば、情報伝達のためのエネルギーを必要としません。さらに、すでに量子世界に存在する、潜在的可能性の中から選択して特定の結果を実現する場合、いかなる物理的インプットあるいはエネルギーの消費もなく情報を伝えることができると考えることができます。」

 これは私の意見ですが、神が空間的主幹性によって、現実世界を見守っていることが表現されていると思います。

 神の力は時間という方法でも表現されます。物事は時間が解決します。たとえ、どんなに難しいことも、何億年という歳月を重ねることによって成されると考えることができます。時間は、物事の同期性など、物質や出来事の関連性について、人間が理解できるように、一つの道具として神は人間に示されました。

続く

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