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復活されたイエス・キリストと共に歩む自己救済3 その1

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謹啓 すべての国民が敬愛する天皇陛下

令和4年10月26日

 再度申し上げます。天皇陛下におかれましては、どうか新しいキリスト教の開設者になっていただきたいと思います。

 私は、研究者ではなく、一般人なので、日常的にこのようなことを考えて仕事や生活しているわけではありません。したがいまして、記載した書籍から文章を一部抜粋し、編集して、私からのメッセージとして使わせていただきました。

 全能の神の依頼により、今回で3回目になりますが、どうか、お願い申し上げます。

謹白

 以下本文です

この3番目の天皇陛下へのお手紙は、宮内庁により、受け取りを拒否されました。従いまして、未公開のお手紙です。今後も受け取っていただけないと思いますので、これが最後のお手紙です。

エネルギーと物質(質量)の関係

 

 

コンティンジェンシー

Contingency

「偶然性」「偶有性」「不確実性」「偶発事件」「不慮の事故」などのこと。

依存する」という意味もあります。この用語を使った「コンティンジェンシー理論」という言葉がありますが、日本語では「環境適応理論」と訳されます。世の中には、さまざまな環境が存在しますが、唯一で最良なシステムというものは存在しないので、環境が変わればシステムも変わるべきだとする理論です。

 

ダブル・コンティンジェンシー

Double contingency

「二重の条件依存性」のこと。

選択するということは、他でありえた可能性の否定であり、その意味で二重の否定です。自我が他者を自らにとっては不透明なもう一人の自我(他我)として体験することによって、選択において否定された潜在的な可能性が、自我と他我の双方において相互的に、現実化はされないが含意はされている可能性として保存され、安定化される。こうした事態を、ルーマンはダブル・コンティンジェンシーとしました。
1 存在論   認識論
2 継続   変化
3 設計   最適化
4 相対性   対称性
5 デジタル   アナログ
6 環境   システム
7 因果   循環
8 有限(時間)   無限(空間)
9 階層   ネットワーク
10 多様性   唯一性
11   復活
12 統一(調和)   一致
13  
14 体(物質)   魂(生命)
15 体験   知識
16   言葉
17 価値   意味
18 現象   原因
19 考える   感じる
20 最後まで   できるところまで
21 相対性理論   量子力学
22 粒子(量子力学)   波(量子力学)
23 質量   エネルギー
24 マクロ   ミクロ
25 自然科学(自然側からのアプローチ)   社会科学(人間側からのアプローチ)
26   技術
27 (記憶力)自己認識   想像力
28 進化   創造
29 形状   機能
30 (過去から現在まで)これまで   (現在から未来へ)これから

今回は、ダイナミカル・システム理論の表から、「質量」と「エネルギー」の組み合わせで、ダイナミカル・システム理論を読み解いてみます。この組み合わせには、今現在、おそらく世界中の人々が一番気になっている「地球温暖化の解決」についてのヒントが示されていると思います。

*「心理学におけるダイナミカル・システム理論 岡林春雄」(金子書房)

*「エネルギーを巡る旅 古舘恒介」(英治出版)

(創発的二元論)ダイナミカル・システム理論について

 創発的二元論、つまり、ここで紹介するダイナミカル・システム理論は、基本的な考え方として、「分解できない」という特徴があります。人間を含めて生物や脳、社会のようなダイナミカル・システム(動的なシステム)は分解して理解することはできません。なぜなら、ダイナミカル・システムの構成要素の機能、振る舞いは全体の文脈の中で決定されるからです。同じ要素でも全体の文脈の中で、その振る舞いが変化し、それによってまた、全体が変化するという循環的あるいは、入れ子構造になった仕組みになっているからです。機械の場合、各部品はそれぞれ決まった機能を持っており、機械を分解しても、それぞれの部品の持っている機能は変わりません。ところが、「生きている」システムの場合、文脈によって各構成要素の機能が決められます。最近の研究の中で、「要素が相互作用している」という表現が多く使われていますが、ただ単に相互作用しているというレベルでは創発的二元論の本質には迫ることができません。

 ここで、創発とはどういうことか、説明します。創発とは、階層世界の下位の自由運動が上位のパターンを生み、また、上位のパターンが下位の境界条件となって個々の運動を間接的に規定することをいいます。創発という言葉は、生物進化に関して提唱されました。「進化論で用いられる概念で、先行与件から予言されたり、説明したりすることが不可能な進化、発展をいいます」(林達夫編「哲学事典」p864 、平凡社、 1971)。

 ダイナミカル・システム理論とは時間の経過とともに変化するシステムを意味しており、実際には、ある特徴を持つ時間を軸にしたシステムを記述するものであり、また、現在の状態をベースにしてシステムの将来の状態を予測する数学的理論であり、数式を使わない場合は、どのようにシステムの状態が変化するのかを空間的な描写または質的な記述によって表現されます。

 自然界における複雑な過程を知るための理論は、偶然性の法則を満たし、かつそれを必然性の法則と関連づける法則をも含む理論、すなわち複雑系の理論でなければ、人の脳の機能、すなわち意識のようなシステムにはなりません。ダイナミカル・システム理論は、複雑系という観点によって、無秩序から秩序への創発、特に低次での構成要素間の相互作用、協同から高次の形態を創発するということに目を向けさせます。この過程は自己組織化と呼ばれ、物理学や生物、そして社会システムにおける変化と連続性を説明することができるようになったのです。

 ダイナミカル・システム理論は、ある時点の人間行動について、それまでは見られなかった行動パターンが現れてくるという、時間軸に沿った複雑な変化を記述しようとする試みに応えようとしたものでありました。また、ダーウィン(Darwin,C.)やヴィゴツキー(Vygotsky,L.S.)、そしてピアジェ(Piaget,J.)らのパイオニア的発達研究者たちも、また、このような問題に取り組んでいました。進化の歴史の中において、それまでいなかった新しい種が出現したように、人間の生涯においても、感情などそれまでになかった新しい能力が出現してきます。すべての生物は、成長とともに新しいシステムを作り出すといえるでしょう。このように考えてくると、「 生きている」システムは従来の科学で扱うことができたシステムとはまったく異なるタイプのものとして考えなくてはなりません。

なぜ理論が必要なのでしょうか?

 最初に思うことは、なぜ、目的の現象を記述、研究するために、その現象をサポートする理論が必要なのか、ということを考えてみたいと思います。私たちの世界には、現象というものがあり、その現象の背後にある、普段は隠されている事実というものがあります。研究者は、分析という手法を用いて、現象の背後にある事実を見つけます。その事実の中から、さらに共通する原理や原則というものを見つけます。それらから生まれるのが概念というもので、概念が、集まって形成されるのが理論です。つまり、理論とは概念が集まって、世の理(ことわり)を説明するストーリーのようなものと考えられます。理論は、結果を予測することができたり、事実を説明、解釈する手がかりを得ることができたり、また起こる現象を整理して、それらから仮説を生み出す母体となりえます。こうした効用によって、私たちは「無駄な体験」や「とてつもない試行錯誤」を避けることができます。体験主義、経験主義を標榜し、「這い回る経験主義」や「試行錯誤地獄」に陥ってしまうくらいなら、片手に「理論」をもっていたほうがいいでしょう。理論は、とてつもない成功を保証するものではありませんが、問題を整理することができて、経験する必要のない無駄な失敗を回避することができます。

*國分康孝の「カウンセリングの理論」(誠信書房)から引用(第一章・序論p17 )

5つのエネルギー革命

 エネルギーという言葉は、現代においては身近なものでありながら、正しく理解することは本当に難しい言葉です。なぜでしょう。それは、エネルギーの議論する時に、何か抽象的でかみ合わない議論に陥ることが多く、皆、自分に都合の良いようにエネルギーを定義しているきらいがあります。こういったところに原因があるのではないでしょうか。分野によって細分化されたことにより、科学的な用法が一般の人の理解をはるかに超えるようになってしまったところにあります。

 太古の昔の先祖は、エネルギーというものを肌感覚で認識して、いずれ自分たちを助けてくれる強力なアイテムとするべくチャレンジを続けてきました。その歴史は、火から始まり現在に至っています。その歴史は、大きく5つに分けられ、ここで簡単に説明します。

 第1 次エネルギー革命で火の利用に目覚めたことから始まった人類のよるエネルギー獲得の歴史は、火を使った調理によって脳の肥大化を実現したことで加速していきます。次いで農耕生活に乗り出すという第2 次エネルギー革命を起こし、その土地に注ぐ太陽エネルギーを独占して余剰の食料を安定的に確保し、都市を構成して文明を興すに至りました。そして蒸気機関というエネルギー変換機械を発明したことで第3 次エネルギー革命を起こし、自らの肉体が持つ限界を打破します。さらに電気の仕組みを解析し、その利用法を学んだことで第4次エネルギー革命を起こし、エネルギー変換の自由を得るだけでなく、発電所と送配電網の整備によってエネルギー利用における場の制約をも克服しました。最後に人工肥料を開発して第5次エネルギー革命を起こし、農業の工業化を推し進め、食料生産における自然界の限界をエネルギー量の投入によって打ち砕くに至りました。

 現在、私たち人類は5つのエネルギー革命を通じて、とてつもない規模のエネルギーを自由に使う存在となっています。ヒトの腕力や脚力に代わる動力は、機械によって引き出すことが出来るようになり、自慢の脳力は、電気を使った情報処理技術の力で補強することができようになっています。外部肉体や外部脳をまとって暮らす私たちは、もはやヒトを超えた存在、超人であるといって良いでしょう。

 ヒトの脳はその成り立ちからしてエネルギーの獲得に極めて貧欲なものです。その貧欲さは、種の保存に必要な食料をはるかに上回る規模のエネルギーを得た今日においても、一向に衰えることがありません。もっと賢くなるために、もっともっとエネルギーが欲しいのです。もっとたくさんのエネルギーを!

 私たちの脳が持つ欲求は、動力機械や情報技術といった外部肉体や外部脳を作り出すだけでなく、自然界の定めた窒素固定量のくびき(自由を束縛するもの)を解き放ち、自らの代謝を支える食料さえもエネルギーまみれにしてしまいました。

人類と火の最初の関係

 アゼルバイジャンの首都、バクー市街から北へ車で40分ほど行ったところに、目当ての場所はありました。現地語で「燃える山」を意味するヤナル・ダグです。消えることのない炎の存在は信仰の対象ともなり、古代より炎が宗教上重要な意味を持つゾロアスター教(拝火教)の聖地にもなってきました。現存するものとしては、ヤナル・ダグから10 kmほど南東に下ったところに17~18世紀に建てられたとされるゾロアスター寺院があります。

 この地域と火との密接な関係は、ギリシア神話の物語にも暗示されています。天界から火を盗み、人類に与えたプロメテウスの物語です。火を得たことで人類は繁栄の礎を築くことになりますが、一方で火を与えたプロメテウスは、ゼウスの怒りを買ってしまいます。その罰としてプロメテウスは、コーカサス地方の岩山に鎖でつながれ、肝臓を鷲についばまれることになりました。プロメテウスは不死身であるため、夜には肝臓は再生し、毎日同じ責め苦を負い続けるという物語です。

 プロメテウスの火の物語は、バクー近郊のこの地域に強い相関があると考えられています。人類が初めて火を使いこなすことの価値を学んだのは、この土地で消えることのない自然火と触れあったことがきっかけだったのではないでしょうか。そして、自ら起こすことが難しい火を絶え間なく供給するこの地を、神からの贈り物として感じたなのではなかったのではないでしょうか。

炭素は循環する

 地球上で火を生じる燃料となっているものを見渡せば、薪や木炭にはいうに思え及ばず、石炭や石油、天然ガスといった化石燃料にしても、それらすべて生物由来の有機化合物であることに気がつきます。化石燃料は、太古に栄えた植物やプランクトンなどの微生物が死滅し、長い年月をかけて化石化したものなのです。

 実は、地球上で普段我々が目にする火とは、その多くが私たち生物の成れの果ての姿なのです。より正確には、火は生命そのもの、生命の化身であるといった方が正しいのかもしれません。宗教や呪術における霊的な儀式において、火が重要な意味を持っていることは少なくありませんが、古来、人類は火の本質をよく捉えていたのだといえるでしょう。

 私たち生物は、体内に貯めた有機化合物を、呼吸によって取り込んだ酸素を使って燃やすことで日々の生活のエネルギーを得ます。燃焼の結果、吐き出されるものは二酸化炭素です。大気へと吐き出された二酸化炭素は、植物が光合成をすることで再び生物界のサイクルに取り込まれ、固定化されます。生物が死滅すれば微生物によって分解され、身体を構成していた炭素は再び二酸化炭素となって、大気中に解き放たれます。こうして大気へ戻された二酸化炭素また、植物の光合成活動によって再び生物界に取り込まれます。このように日々の呼吸や死滅、燃焼によって、大気と生物の間で炭素が巡っていくことを「炭素循環」といいます。地球は、ときたま落ちてくる隕石や宇宙塵を除いて、外部との物質のやりとりがないひとつの閉じた系であるため、地球上の炭素総量は一定とみなすことができます。

 光合成の出来ない動物たちにとって、食べ物の確保は死活問題です。微生物、昆虫から、魚類、両生類、鳥類、哺乳類に至るまで、皆が、食うか食われるかの食物連鎖の中で必死に日々を暮らしています。

 食料連鎖の下位に位置する動物たちは、植物や菌類を食べることで、生きていくために必要なエネルギーを得ます。菌類には地下や深海などに太陽光が届かない場所に生息し、化学反応によってエネルギーを得るものも多く存在しますが、私たち人類が従属する地上の生態系においては、植物が光合成によって取り込む太陽エネルギーが1番のエネルギー源となっています。

 食物連鎖の上位に位置する肉食の動物たちは、草食の動物を食べることによって間接的に植物を食べていることになります。つまり、私たちを取り巻く自然環境において動物たちがしのぎを削る食物連鎖の世界とは、植物が取り込んだ太陽エネルギーを、すべての動物たちによって激しく奪い合いをするということなのです。もちろん、動物の一種族である人類もまた、この苛烈な奪い合いに参加する構成員のひとりです。

ヒトの脳が大きくなったのは火のおかげ

 動物としてのヒトの特徴をいくつか挙げるよう質問されたならば、皆さんは何と答えるでしょうか。ヒトにはあまり知られていない自慢すべき大きな特徴があります。もちろん、私にもあなたにも備わっている特徴です。それが体格に比較して小さい胃腸です。一般に、脳の維持には多大なエネルギーが必要であることが知られています。しかし、胃腸も脳と同じく大量のエネルギーを必要とする器官なのです。ヒトと同程度の体重を持つ哺乳類の多くは、脳の大きさがヒトの5分の1程度であるのに対し、胃腸の長さはヒトの2倍もあります。つまり私たち人類は、相対的な大きな脳と小さな胃腸を持っていることになります。胃腸が小さくなると食べ物の消化が十分にできなくなり、結果として体に取り込むことができるエネルギーの量が減ってしまうからです。私たちの祖先は、この問題をどのように解決したのでしょうか。

 1つは、より栄養価の高い食べ物を取ることです。肉食を始めたことがそれにあたります。それが火の利用を可能にする知恵を生む知能を、私たちの祖先へもたらしたのでしょう。そして現生人類へと続く脳の発達ならびに胃腸の縮小は、料理の発明によってもたらされたと考えられています。食べ物を叩き、刻み、すり潰すなどして加工したうえで、それを加熱処理する、それが「料理」です。食べ物を料理すると、その吸収に要する胃腸の負担は劇的に軽減されるのです。

 野生のチンパンジーが1日のうちに6時間以上食べ物を噛むことに費やしていることを考えると、こうした加工による効果は決して少なくありません。さらに決定的な変化をもたらす力が、加熱にあります。熱はでんぷんやタンパク質を変質させ、食べ物の持つ栄養価を飛躍的に高めることにつながるのです。

 私たちの祖先は、本来であれば消化器官で行う仕事を、食べ物を「料理」することで、一部外製化したのです。外製化したことで得られる余剰エネルギーは脳へ集中投資され、それが私たちの祖先の進化の方向を決定づけることになりました。私たち人類が誇る優秀な頭脳は、加熱という形で火の持つエネルギーを間接的に取り込むことで、自然界において生食をすることで許容される脳の大きさを遥かに超える大きさにまで肥大化したものです。つまり私たちの脳は本能的に、「より賢くなりたい。そのために、より多くのエネルギーを得たい」と望む傾向があるのです。

脳が作った文明社会

 ここで人類が生み出した文明社会を俯瞰(ふかん)してみましょう。そこにヒトの脳の本質が現れてはいないでしょうか。エネルギーの消費量を増やしていくことで発展していく社会です。特に産業革命以降の社会は、化石燃料などのエネルギーを自らの身体ではなく機械に「食べさせる」ことで、蒸気機関や自動車を動かし、電気を起こして電子機器の飛躍的な進歩、発展を実現してきました。

 際限のないエネルギー獲得の要求。それが、私たちの持つ脳が持つ本性です。そして私たちが作り上げた輝かしい文明社会とは、消化可能な食べ物を化石燃料やウラン鉱石にまで広げることで、消化器官を通じて取り込めるエネルギー容量を飛躍的に増やし、脳をさらに巨大化させた化け物のような生き物に思えてきます。こうして外部からのエネルギー投入に依存した「脳化」が加速する社会に未来はあるのでしょうか。そのことが今、問われています。それこそが人類と火の関係をひも解くことで浮かび上がってくる、エネルギーにまつわる問題をめぐる根源的な問いではないだろうかと私は考えています。

復活されたイエス・キリストと共に歩む自己救済 3の2に続く

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