- 「ダブル・コンティンジェンシー」と「コンティンジェンシー」という言葉で、口腔システムや歯の生成を説明できますか?
- 歯はどのようにして現在の形になったと考えられますか?
- どのような要素が歯を生成させたと考えられますか?
- 仮想運動軸法とは、どのようなものですか。
- 新しい発想法・唯一性と圧倒性というカテゴリーから生まれ、仮想運動軸法を採用した咬合器とはどのような咬合器でしょうか?
- 歯科医師の先生方がご不自由であることを鑑みて、歯科技工士が作ってみました
- 上下臼歯の咬合面間の空間の変化を認識すること
- 歯科医師が詳細にまで設計し、最適化された補綴物について
- 臼歯の咬合面の凸凹は物を咬むためにできた、これは事実ですか?
- ナソロジーが残したもの
「ダブル・コンティンジェンシー」と「コンティンジェンシー」という言葉で、口腔システムや歯の生成を説明できますか?
人間の生体の「実体としての顎システム」をオートポイエーシス概念で表現してみます。「下顎の動き」という作動スイッチが入ると、構造・システムが出現します。作動が停止すると、それとともにシステムは消滅し、構成素は安静位空隙となります。
※安静位空隙とは、下顎の安静位では上下顎の歯の咬合接触はなく、上下顎の歯の咬合面の間には中切歯部で約2 ~ 3mmの垂直的空隙があります。この空隙を安静位空隙といい、口腔が特別な機能をしていないリラックスした状態のことをいいます。
作動することによって「顎システム」という構造ができて、構造と環境とに区別されます。このとき環境とは歯であり、歯周組織や舌、口唇、顎の関節などです。また、構成素とは咬合面間の空間の変化です。「作動」、「構成素」、「構造」、「環境」の四つの要素から成ります。作動が停止すると、構成素が安静位空隙になるということから、作動すると構成素が構造を決定することになります。コンティンジェンシーとダブル・コンティンジェンシーが、歯の生成に関してどのように関与してくるのか、ということですが、二者はシステムをつくります。ダブル・コンティンジェンシーは「現状を放棄し、変化させて、唯一の選択性を持つものであり、また対称的で、共同体を志向して、循環によって永遠に維持される」というようなものとします。コンティンジェンシーは「あわれみをもち、現状を継続し、それは圧倒的な選択性であり、また相対的で、集団的であり、因果な存在であるがゆえに最終的には消滅する」ということになります。
コンティンジェンシーはシステムを前進させて、継続させる要素です。また、ダブル・コンティンジェンシーはシステムを変化させる要素です。これは歯の生成を社会科学の立場から見た表現です。自己を生成し、維持する機構そのものです。ルーマンはダブル・コンティンジェンシーを社会システム理論の成立根拠としました。つまり、ルーマンにおけるシステム理論では、ダブル・コンティンジェンシーがシステムを構成する重要な要素であるとしています。コンティンジェンシーと、このダブル・コンティンジェンシーがシステムの構成要素であるということです。この二要素が秩序を形成し、現状の顎や関節、歯を含む咬合システムを形成した、ということになります。そして、実体としての「顎システム」ができました。また、人間が創発的な存在である社会システムにアクセスするためには、人間は、コンティンジェンシーとダブル・コンティンジェンシーという要素に分ける地点に立った場合のみアクセス可能であるということになります。他の地点では十分にアクセスすることができません。
コンティンジェンシーとダブル・コンティンジェンシーという対を設定することによって、互いの意味や価値を明確にします。なぜならば、双方とも人間がつくった仮説的用語だからです。このように、オートポイエーシス概念では、対をなす、社会科学的な見方と自然科学的な見方を複合したような立場からの表現になります。社会科学は人間からみた世界に関する仮説であり、書き換えられる可能性があります。また、自然科学も自然からみた世界に関する仮説であり、今後書き換えられる可能性があります。人間が中心となって世界に関与していかざるをえない状況は、人間が存在する限り続くでしょう。社会科学と自然科学は世界の表現方法の一つであって、二つに分けた仮説同士が互いに支えあっている形で、それぞれが独自に存在しています。
これは人間が世界にアクセスするときには「責任というメス」で切り分けることが必要で、分けることにより、その断面から社会科学と自然科学を見ることができる、という考え方です。世界はあくまで一つです。
現在において、世界を社会科学と自然科学に分けて理解する考え方は、仮説のなかでも人間が非常に信頼を寄せている考え方である、と私は思います。自然科学も人間の責任なくしては存在しないものであり、自然科学とは人間の責任において切り分けた世界の片割れであり、人間の存在と別に独立して存在できているわけではない、ということです。人間の普遍的な共通意識、すなわち生命体の持っている、継続と変化という宿命、それはつまり生まれる前から定まっている人間の運命に対処しなければならないという潜在意識が、人間社会というシステムの形成につながったと思います。
だから、人間が物をみる立場もそれに準じた位置にならざるを得ないと思います。ルーマンは、社会は複雑なシステムであり、そのシステムは意味によって構成されるとみなしたのです。世界や社会をつねに複雑系として捉えつづけてきたこと、その世界や社会を形成する根源的な単位を「意味」に求めようとしつづけたこと、その意味を加工編集するものはすべからく「システム」であるとみなしたこと、これがオートポイエーシスによるシステム理論です。オートポイエーシス概念は自然世界というブラックボックスを自然科学と社会科学に切り分けるメスであり、両者の立場からの言及が必要とされます。 両者は横並びという関係ではなく、(A/非A) または、相互に (システム/環境) というように特定された関係を持っています。
歯はどのようにして現在の形になったと考えられますか?
オートポイエーシスの概念で歯の生成について言及してみます。オートポイエーシスの概念には人間には完全に管理できない要素が含まれているということです。ただし、理論のなかでは肯定的な意味で表現されています。肯定的ではありますが、1つには決められないようなこと、ということでしょう。もしくは、結果は出ているが、結果に至った過程の中で知ることができないことがある、ということでしょう。これは人間の立場に立って、あえて試みた表現です。歯は人間がつくったものではありませんので、おそらく歯自身にとっては、進化という要素を含めて、当然の帰結として現在の形になったということでしょう。
その理由は、非常に大きい確率で、人種・民族を問わず、歯は多少の個人差や人種・民族の差はあっても同一部位においては、同じような形をしているからなのです。結論はわかっているけれども、それができた過程はよくわかりません。このように歯の形状の本質を理解するために必要な概念であると思います。
私は、オートポイエーシスの概念を要素としたダイナミカル・システム理論である、と考えましたが、「モノづくり日本」を標榜するのなら、ぜひこれを取り扱っていただきたいと思います。
一部ではありますがオートポイエーシス概念を使えば、歯や歯列のできた過程を仮説的に知ることができます。その仮説を使えば歯の生成に対して、人間がアクセスすることができると思います。有用性が認められれば、その仮説に何らかの妥当性があるということでしょう。この「できる過程」とは胎児に歯が発生して徐々に形成されていく過程を説明できるということではありません。「歯の形状がいかにして現在の形状に形成されたか」ということに関しては、言及することは非常にむつかしいことです。
考古学的にみれば、ヒト科の祖先の類縁であると思われる類人猿も現在のヒトと同じような構造の顎と歯を持っており、「実体としての顎システム」の基本的な構造は、ヒトが現在のような言語を獲得するよりもかなり以前より、存在していたといえるでしょう。また、現在の類人猿も高度な知能を有し、社会的生活を営んでいます。ヒトの言語よりは低度ではありますが、発声・発音によって感情・意思などの疎通、共有を行うことが行われていることを考えると、ヒトの祖先も、同様であったと考えられます。類人猿が脊椎動物であり、声帯も有していることから、ヒトの祖先にも咀嚼と発声・発音という機能は同時にあったと考えられます。
これは、オートポイエーシス概念における複数のシステムの自立性ということにあたります。「咀嚼システム」と「発声・発音システム」は同じ「実体としての顎システム」に重複しているようなイメージになります。現在においては、この「咀嚼システム」と「発声・発音システム」だけでなく、「審美システム」も有していると思います。「歯の形状がいかにして現在の形状に形成されたか」という問いに対し、オートポイエーシス概念によるシステム論を使っておおざっぱで部分的ではありますが、仮説的に表現することができます。
どのような要素が歯を生成させたと考えられますか?
オートポイエーシス概念で歯の生成を説明する場合、機能分化を担うコミュニケーションコードとして二つの言葉があり、それらはきわめて重要です。一つは、コンティンジェンシー(contingency)と呼ばれているもので、もう一つは、ダブル・コンティンジェンシー(double contingency)と呼ばれているものです。コンティンジェンシーという言葉はきわめて重要であるにもかかわらず、そのもっている意味がとてもわかりにくい言葉です。あらためて説明すると、この「依存」というイメージには、よく「別様の可能性」とか「機能的な等価性」と訳されたり、「偶有性」、「偶発性」、「本来的偶然性」と説明されたりするけれど、これではよくわかりません。アングロサクソンの伝統には、「コンティンジェンシー」についての2つの意味構成があります。
1つは日常用語で「あるものに依存する」という「コンティンジェンシー」であり、もう1つは他にも可能であるという意味での、したがって不可能性と必然性の否定としての「コンティンジェンシー」です。オートポイエーシス概念で表現されるシステム理論にとって重要な言葉の1つです。それゆえ、人間にとって不確実なこと、不確定なこともコンティンジェントなものとしてすべて含意されています。さらに生起するかもしれない可能性もコンティンジェントであるとされます。つまり、ここには「本来的偶然性」がかかわっているとともに、「生起の本質」もかかわっている、それがコンティンジェンシーです。
最初に、コンティンジェンシーという言葉を用いて、歯の形が現在のように決定されたことを表現してみます。歯の普遍的な形が現在のように決定されたその事実が、偶発的な出来事によって付随しておこった一連の出来事が、コンティンジェントであるというのです。これは、歯の生成という人間がかかわらない出来事を、人間の立場で表現するがゆえに創出される表象です。突発的におこった事件や事故について、「まさかこんなことがコンティンジェントにおこるとは思わなかった」というように表現されます。コンティンジェントであるということは、まずは偶然性や偶発性に自覚的になるということです。それらの存在を意識するということです。継続状態における変化の発生とその対応が求められ、そこに自身が進行方向に向かって投企(とうき)されるということです。
歯の立場になって考えると、現在の歯の前身が、みずからにおこった偶発性や偶然性を、その来し方と行方を情報知覚して、そのコンティンジェントな機会によって出入りした出来事・情報・知覚・思索のいっさいを新たに編集していくということ、これがコンティンジェントであるということになります。簡単に表現すると、あるとき世界の中に否応なしに存在させられていることに気づいた歯の前身が、不安を通してそれらを自覚し、そこから新たに自分自身の形状と構造をとらえなおし、新たな形状と構造を形成し始めるという表現ができると思います。この繰り返しによって現在の歯の形状が生成されたと考えるわけです。もちろん、歯には、心があるはずもなく意識もないと思いますが、適当な表現方法がないために、人間が歯の立場にたって表現したものです。あくまでも、超自然的な力や原理の助けをかりず、物理学的、化学的な自然法則だけに訴えるアプローチであることに変わりはありません。
もう一つ、ルーマンのシステム理論においては、「ダブル・コンティンジェンシー(二重の条件依存性)」という言葉が用いられています。この用語をコンティンジェンシーと合わせることによって、さらに歯の生成について言及することができます。現実の状態が偶然によってなされたことの結果であると定義することで、オートポイエーシス・システムの作動はすべてが偶然によっておこなわれているということになります。つまり、偶然性に対して開かれているということです。もともとダブル・コンティンジェンシーという言葉はパーソンズがつくり、パーソンズの社会システム理論で使用した言葉ですが、ルーマンは、パーソンズの二重の条件依存性を独自の解釈に変更しました。それは一方のすることが他方のすることの前提であり、しかもその逆も成り立つという循環はパーソンズと同様に規定しましたが、パーソンズの「共有された価値をより所にする」こととは違って、社会システムの成立根拠を二重の条件依存性に求めました。 相対峙しているモデルで、二者の各々は自身の要求と実行可能性を持っています。ある者は他者の実行の仕方に依存し、そして他者はこのある者の実行の仕方に依存しています。つまり、「もしあなたが私の望むことをするならば、私はあなたの求めることをする、という状況」の循環は、関与するシステムのいずれによっても決定されていない事態であるという不安定さが、自立的な機能分化を作り出し、人間の創発が社会システムを形成する道を示す、としました。ルーマンがここで思い描いているのはシステムの創発特性、システムの構造的特性であると思います。歯も生成に関して同様であるということです。
仮想運動軸法とは、どのようなものですか。
下顎の運動量、運動方向を知るためにチェックバイトを利用する方法をご紹介します。片側につき、一つ使う方法と二つ使う方法があります。一つ使う方法の場合は従来のチェックバイト法と似ていますが、作業側の取り扱いが違います。通常、チェックバイト法は半調節性咬合器に用いられてきました。したがって作業側の顆路の調節機構がなく、その運動は咬合器の設計者の意図によってあらかじめ決められてしまっています。非作業側のみの調節機構では、正確に下顎の偏心位を再現することができません。作業側の動きである、ベネット運動は多少のブレということで無視、もしくは最大公約数的な取り扱いをして、非作業側のみの顆路の調節機構で済ませてきました。
今回ここで示した片側一つ使う、または二つ使うチェックバイト法は、作業側の顆頭の偏位にも非作業側と同様な対応をして、咬合器に下顎の変位を正しく再現することができます。しかし、片側一つでは運動経路は直線となります。片側二つ使うことで経路を曲線にすることができます。また、補綴物を作るために通常は下顎の前方運動、左右の側方運動をみますが、術者が望めば後方運動を顆路の作成に組み込むことも可能でしょう。
従来の方法では、機械式、電子式のパントグラフを用いて下顎の運動を測定して使われてきました。しかし、この方法は歯科技工士が言及するには荷が重いので、もしもこのような使い方を望む場合は歯科医師が解説を担当すべきでしょう。ただ、こういった測定装置を使う場合は、生体から咬合器にデータをトランスファーするとき、きわめて慎重な取り扱いが必要になるということです。生体と基準面、咬合器と基準面、この2つの位置関係が正確に一致するよう咬合器上に再現することが必要になります。また、生体の顆頭間距離を咬合器に再現することが必要になることもあります。
生体の顆頭間距離を実際に計測することはむずかしいことですし、生体と咬合器の顆頭間距離の違いを変換する場合でも複雑な計算が必要になります。また、パントグラフから得られたデータである、基準面と顆路のなす角度を咬合器の調節機構に入力するわけですが、上顎模型を咬合器にフェイスボウ・トランスファーするとき、細心の注意が必要です。これが狂うと生体で精密に計測した顆路角の意味がなくなります。
ここで紹介する仮想運動軸法では、咬合器の顆頭間距離と生体の顆頭間距離が違っても精度的にはまったく問題ありません。仮想運動軸法で行うチェックバイト法は上顎歯列に対する下顎歯列の相対的な位置の変化を利用していて、そのため生体の下顎顆頭の位置の変化を計測して顆路角を導き出す機械式、電子式のパントグラフを用いて下顎の運動を測定する方法とは違い、咬合器の顆頭球の相対的位置の変化を利用します。中心咬合位のときの咬合器の顆頭球の位置、チェックバイトを採得したときの咬合器の顆頭球の位置、この二つを使えば顆路は直線で表現され、さらに中間点を追加すれば、顆路は曲線で表現されます。通常、曲線は円弧を使用します。CADでも円弧は取り扱いが易しいです。この例を実現するために特別に咬合器を作って、ビデオに収録しました。
新しい発想法・唯一性と圧倒性というカテゴリーから生まれ、仮想運動軸法を採用した咬合器とはどのような咬合器でしょうか?
ここで紹介した仮想運動軸法を採用した咬合器も、従来のものと全く違ったものではありません。ただ、違うこととは前方運動や側方運動をするための調節機構の構造です。従来の咬合器では、回転したりスライドしたりする部品を組み合わせて、機械的な調節機構によってつくられたガイド面であったものを、樹脂ブロックから自由に削り出して使うようにした、もしくは3Dプリンタで形成して使えるようにしたことです。つまり、機械的な調節機構から開放されるということです。術者の考えによってどのようにでもガイド面を作ることができます。このことによって、従来では偶然性ということばで埋没してしまったものを、術者の裁量権によって掘り起こすことができます。樹脂ブロックから削り出して使う方法や3Dプリンタを使う利点は、既存の方法に縛られることなく、術者である歯科医師によって簡単にカスタマイズできることです。もしも従来の方法でよければ、そのように顆路を形成すればよいわけです。
歯科医師の先生方がご不自由であることを鑑みて、歯科技工士が作ってみました
私は歯科技工士ですが、個別の問題として断片化された歯科医師からのメッセージを、専門誌や講演会で見たり聞いたりすることがあります。個別の問題として断片化された歯科医師からのメッセージを、歯科技工士が自分の業務である歯科技工の個別の症例に合わせて再構成するということは、現在行われていることではありますが、患者さんにとっても、歯科医師の先生方にとっても十分満足できる補綴物ができる保障は、必ずしもあるものではないと考えます。
その理由は、歯科技工士は患者さんに接することができないので、そのことが任されても十分責任を果たせる理由とはならないからです。私は、歯科医師に個別の症例に存在する問題を統合して、その症例に合わせて最適化し、具体的なイメージとして歯科技工士に示していただくと大変ありがたい、と思います。また、最適化するということは患者さんにどのようなことをしたのかを十分に説明できるということが重要であり、「最適化した」というだけでよいというわけではありません。悪くないものは良いものである、悪くなければよい、というのではなく、従来の補綴物では満足できない人へ勧めるものです。
上下臼歯の咬合面間の空間の変化を認識すること
なぜ、口の周りに歯ができたのか、という問いに対して、妥当性のある答えを導き出すことはむつかしく、それは仮説の域を出ることができないのでしょうか。それとも、歯は本当に咬むために作られたもので、そのような前提で作られている、と断定してもよいのでしょうか。ここで問題にしているのは進化論のような哲学としての生物学的なものが正しいのか、どうなのかというようなことではありません。人間がみずからを認識できるようになり、また直接的に見えるものと見えなくても存在するものがあることを認識できたとき、また、それを人間みずからが管理、維持しようとしたとき、直接見えないものにも思いをめぐらすことが必要であるということです。
目的と手段を考えるとき、目的は見えないものであり、見えるものは手段になります。そのようなことを行うためには従来では利用して来なかったツール、CAE(computer aided engineering )などが必要になり、こういったものがなければ実行できないと思います。歯は自然の理によってできたものであり、その自然の理とはどのようなメカニズムになっていて、人間がどのように利用するか、関与できるかということです。自然の理といっても観念のレベルにとどまらず、メカニズムにまで言及できるシステム論はそれほど多くはありません。私は、オートポイエーシスというシステム理論を採用するとよいと思います。
オートポイエーシスでは、①重複する機能、②支える成果メディア、③コードの種類、④プログラムの分類などの観点から歯科技工をすること、補綴物をつくることに焦点を当て、人間が行うのであるから人間があらかじめ確認しておくべき2値のコードがあります。
歯科医師が詳細にまで設計し、最適化された補綴物について
現在でも基本的に歯科医師が承認して、口腔内にセットされたものはすべて最適化された補綴物である、といえると思います。しかし、あらためて、ここでいう「最適化」の定義とは、考え方と手法がオートポイエーシスの概念に沿ったものということができ、最適化することと表現できると思います。では、最適化とは、具体的にどういうことなのでしょうか。
自然界の複雑な事例に関しては、取り扱う対象に見合った方法が必要なのだと思います。科学は、人間の思うこと、考えることができる可能性の選択肢を増やして、自然世界に対して言及できる範囲を広げることができます。複雑性の縮減とは、人間が複雑なものを取り扱えるようになるということです。人間の思考のレベルを自在に変えるということです。複雑なものを取り扱うにはそれを理解し、オペレーションする方法を獲得しなければなりません。とにかく自然世界は非常に複雑で、知れば知るほどその奥には、より複雑なものが待っていると思います。最適化とは、そのころあいのよいところ、ということが出来るでしょう。
「全領域再現性咬合器システム+人工知能のアシストがあるCAD」は、対称的な概念の応用であり、その実用化の一例である、と思えるからです。歯科技工士にこのようなことを要請されるのは、歯科技工士という立場からの発信が望まれていたのではないかと思います。もしも従来通りの「歯科医療前進のため」という、本道からの提案ならば、歯科医師が歯科医療の中でのその立場と、その責任の名においてなさればよかったことではないかと思います。大学にもそのような研究するための仕組みがあるはずで、私のように私費で行わなくても、それ相応な研究費を賄うことができたのではないでしょうか。
「全領域再現性咬合器システム+人工知能のアシストがあるCAD」を、どうしても世の中に出してほしいという要請が、「全能の神」からの要請であると思われたからこそ、私は何よりも優先して続けてきたのであり、そのように思わなかったならば、クリスチャンにもならなかったし、またこのようなものを作らなかったでしょう。そのようなことを続けても、お金を持ち出すばかりで何の得にもならないばかりでなく、歯科技工士が提案しても「おめでたい人」といわれ、誰も相手にしないでしょう。それにもかかわらず、続けてきたのは「全能の神」からの「どうしても」という強い要請が働いているという感触が私にはあったからなのです。それは「日本人が対称的な概念を現実世界において何かを実用化させることこそが、人間自らが望む未来を構築できる唯一の手段であり、その過程を示せ。」ということなのです。歯科技工士が歯の形について、特に治療や診断に関しないことであるならば、語ることはできると思います。
臼歯の咬合面の凸凹は物を咬むためにできた、これは事実ですか?
これは発見なのか、それとも事実に基づいた想像によって得られた、一つの仮説なのでしょうか。口の周りに、たまたまそういうものが出来たのだけれども大変具合がよいので、そのまま性質として残ったのでしょうか。私は、「臼歯の咬合面の凸凹は物を咬むためにできた」というような、このように言い切った表現をした歯科専門書を見たことがありません。歯科医療にとって、その起源は特に問題視されないためかもしれません。現時点では仮説として取り扱われているということだと思います。
ところで「りんごが落ちること」、これは特別のものであると人間は認識し、それを引力と名づけ、その法則が発見されました。いまさら取り立てていうことでもありませんが、落ちるという現象は、実は物体どうしは互いにひきつけ合うということだったのです。イギリスの物理学者であるニュートンは、質量を持つすべての物体には「引力」があることを発見しました。このことを「万有引力」と名付け、2つの物体の間に働く万有引力は2つの物体の質量の積に比例し、距離の2乗に反比例します。海の潮の満ち引きも、地球と月の間に起こる「万有引力」の影響で起こっているのです。物を手から離せば落ちるということを、ただ単に「当たり前のこと」としていれば、特別に関心を持つ対象にならず、あえて言及することもない現象としての取り扱いになってしまします。ニュートンがなぜ認識できたかといえば、「落ちること」に唯一性を認めたからです。ニュートンは、それが質量をもつ万物に生じる力であることを、数式として定式化することによって証明し、体系的にまとめあげた功績が大きいことが指摘されています。引力の発見と「咬合面の凸凹は物を咬み易くするためについている」、という発見は本質的には同じであると思います。これらは共に自然がつくったものです。人間が作ったものではありません。しかし、歯で物を噛むことは、人間だけでなく他の動物たちも日常的に行っていることで、今さらどうこう言うことではありませんが、歯科治療における歯科技工に利用するにあたり、あらためて表現してみます。
自然界において何らかの客観的な理由があり、その理由に基づく仕組みが口の周りに歯を作ったという考え方は、必然性と偶然性というカテゴリーから生ずる考え方です。その理由を発見することはとても難しいことです。この方法で歯の生成を考えよう、説明しようとすると極めて困難な作業になると思います。サルの咬合どころか、もっと前の世代から始めなくてはいけません。
ここで唯一性と多様性というカテゴリーを用い自然科学と社会科学を併用することで、人間の世代から研究を始めることが出来ます。研究の目的は人間の咬み合わせなので、目的にかなっています。私が思うことなのですが、自然科学の立場から積み上げる方法で徐々にボトムアップしていっても、臼歯の咬合面の凸凹がなぜできたのか、ということまでたどり着くことができないのではないかと思います。自然にできたことなのだから自然科学ですべて解決できそうなのですが、どうもそうではないようです。
自然科学と社会科学は対になっていて、特に生物に関して全体の仕組みを解明するためには、両面からのアクセスがないと解明できないと思います。なぜそうなのか、という疑問に対しての答えは、従来のボトムアップ式の積み上げではうまく行かなかったから他の方法を考案した、それがオートポイエーシスという発想だと思います。順序立てて、発生から、つまり最初からどうしてこうなったのかということを、進化論のように説明することはきわめて難しいことだと思います。ダーウィンの進化論では説明されていない部分も多くあります。特に生物の発生に関しては言及できていないといわれています。人間が生物の構造にアクセスするためには、現在において認識できる口腔の状態を自然科学と社会科学の両面からアクセスして目的に迫るという方法になると思います。考古学的なレベルでの「時間的にさかのぼること」は必要ないと思います。
ナソロジーが残したもの
この見出しから見ると、ナソロジーはすでに終わった概念のような表現になっていますが、歯科技工士である私が発言する資格はないと思います。ここで言いたいこととは、顎口腔系を機能的な一単位として研究、治療することを目的とした学問であり、その後の歯科治療に関する方向を定めたということです。事実としてあることは、現在では、終末蝶番軸を記録する臨床家がほとんどいなくなったと、「歯界展望」の2022年7月号に特集されている、「中心位を再考する(理論編)」に記されています。
ここでは歯科技工の知識なくしては考えられないのはもちろんなのですが、オートポイエーシス概念というものを歯科技工に導入して考えることを試みてみました。これは歯科技工の臨床の経験の中で思いついたことから始めたわけではありません。それゆえ、歯科技工士でも作ることができると考えたのであり、それを支えるフィロソフィーは特別に歯科とは関係のないものです。このことは歯科医師が歯科医療にナソロジーを導入したいきさつと似ていると思います。
ナソロジー(顎咬合学)とは、アメリカの歯科医師ハーベイ・スタラード(1888~1974)とビバリー・マッカラム(1883~1968)が提唱した、おもに有歯顎の咬合再構成を通して、顎口腔機能を回復させることを目的とした学問です。
これは私の思うところですが、ナソロジーはデカルトの生体機械論から派生した考え方であり、必然性と偶然性というカテゴリーからの理論体系で意味づけがなされていると思います。ナソロジーは歯科における生体機械論の一つの表現方法であり、必然性と偶然性の取り扱いをターミナル・ヒンジアキシス(終末蝶番軸)という位置の決定という問題に焼き直しをしました。ただ、言葉の上では必然性と偶然性と2つであるとしていますが、必然性という厳然たる法則性と偶然性というあいまいさは緊密に絡み合っていて、実際に正確に分けることがむつかしいことがらなのです。歯科医師の先生方もかなりご苦労されたようです。これに真剣に取り組んだ歯科医師もいらっしゃいましたが、こういったものには興味を示さなかった歯科医師の先生方もいらっしゃいました。
私がナソロジーという言葉を知ったのは、今から35年以上前です。歯科技工士になってからしばらくしてからでした。その頃、知ったことは、人間の下顎に、ロボットの顎のような純粋な回転軸があるという話なのです。おかしな話だなぁ、と思いました。そのこと以外はそれなりに納得できる内容であると思いました。しかしよくよく考えてみると、このようなことは歯科医師本人が実際に歯科技工をするのであればよいのですが、歯科技工士が勉強してもあまり意味がないのではないか、とも思いました。
その理由は、歯科技工士は補綴物を実際に作るのですが、基本的に当該患者に接することはできません。こういった難しい症例では、歯科技工物の製作に関する裁量権の問題で、当時ではワックスアップをしてみて歯科医師に意見を聞いたり、修正をしていただいたりとかなり面倒です。また、歯科技工士は治療の結果を見届けることが出来ません。それなのに、あれこれ考えることが無駄ではないかもしれませんが、面倒で如何なものかと思いました。
実際、回転軸がどこにあるかということは診断に関することであり、歯科技工には関係がありません。それがどこであろうと歯科医師自身の問題であり、歯科技工士には直接的には関係ないことです。ただ関係があるとすれば、軸の位置がずれると製作した技工物の調整が大きくなり、下手をすると再製作になる可能性があることです。
ナソロジーは人間の下顎のことにもかかわらず、何ゆえに、このように機械人間の下顎に当てはめるようなことをされたのでしょうか。とても不自然に思いました。その背景には、ナソロジーは歯科の臨床経験から説き起こされた歯科医学というものではなく、生体機械論という観点からの出発点ではなかったのかと、今考えるとあらためてそう思いました。ターミナル・ヒンジアキシス(終末蝶番軸)に伴う中心位という下顎の位置の決定の定義は時代の流れとともに、何度も変更されました。
ところで、これは今、私が思うことなのですが、最初に考案したナソロジストたちは、ターミナル・ヒンジアキシス(終末蝶番軸)をどのように解釈するかということを世界の人々に問いかけたのではないでしょうか。私は、その深読みして現れてくる問いかけに対して、仮想運動軸を使う方法を提案します。これは現実世界と唯物論的世界観の関係ではなく、形而上学的概念をもっと考慮すべきであったということを促すことが目的です。現実の自然世界では運動に関して、純粋に回転成分と移動成分が別れているものが少なく、下顎の運動もその例に漏れることはないと思います。
ナソロジーは、分断された知識の断片を束ね合わせるということに貢献したと思います。システムという考え方です。また、歯だけでなく、顎の関節を含めた口腔全体を一つの単位として治療をするということとも言えます。
※形而上学(けいじじょうがく)とは、感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性(延いてはロゴス)的な思惟で認識しようとする学問ないし哲学の一分野。世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根因)や、物や人間の存在の理由や意味など、感覚を超越したものについて考える。ウィキペディアより
※必然性と偶然性の相互浸透の例
鉄製の一辺が10mmの立方体を10個並べて寸法を測ると、おそらく100.1mmとか99.9mmになるでしょう、100mm丁度になることはまずないことだと思います。数学というか、算数的には10mm×10=100mmです。これは理想世界の話で、現実には、目には見えないごくわずかな誤差も、積算されると扱いに困るほどになってしまうことがあるということです。10,000個とか、1億個、100億個になると、より顕著になると思います。