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中心位にまつわる議論についての考察と提案  (その2)

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「ダブル・コンティンジェンシー」と「コンティンジェンシー」という言葉で、口腔システムや歯の生成を説明できますか?

人間の「実体としての顎システム」をオートポイエーシス概念で表現してみます。「下顎の動き」という作動スイッチが入ると、構造とシステムが出現します。作動が停止するとシステムは消滅し、「構成素」は安静位空隙となります。

安静位空隙とは、下顎の安静位では上下顎の歯の咬合接触はなく、上下顎の歯の咬合面の間には中切歯部で約2 ~ 3mmの垂直的空隙があります。この空隙を安静位空隙といい、口腔が特別な機能をしていないリラックスした状態のことをいいます。

下顎が作動することによって「顎システム」という構造ができて、構造と環境とに区別されます。このとき環境とは上下顎の歯列、歯周組織や舌、口唇、顎の関節などです。また、「構成素」とは咬合面間の空間の変化です。「作動」、「構成素」、「構造」、「環境」の四つの要素から成ります。産出プロセスのネットワークは「構成素」を産出します。下顎の作動が停止すると「構成素」が安静位空隙になります。つまり下顎が作動すると「構成素」が構造を決定することになります。

コンティンジェンシーとダブル・コンティンジェンシーの2者はシステムをつくります。これらは歯の生成をどのように説明できるのでしょうか。ダブル・コンティンジェンシーは「現状を放棄し、変化させて、唯一の選択性を持つものであり、また対称的で、共同体を志向して、循環によって永遠に維持される」というようなものとします。コンティンジェンシーは「あわれみをもち、現状を継続し、それは圧倒的な選択性であり、また相対的で、集団的であり、因果な存在であるがゆえに最終的には消滅する」ということになります。

コンティンジェンシーはシステムを前進させて、継続させる要素です。また、ダブル・コンティンジェンシーはシステムを変化させる要素です。これは歯の生成を社会科学と自然科学の2つの立場から見た表現です。自己を生成し、維持する機構そのものです。ルーマンはダブル・コンティンジェンシーを社会システム理論の成立根拠としました。つまり、ルーマンにおけるシステム理論では、ダブル・コンティンジェンシーがシステムを構成する重要な要素であるとしています。

コンティンジェンシーとダブル・コンティンジェンシーがシステムの構成要素であるということです。この二要素が秩序を形成し現状の顎や関節、歯を含む咬合システムを形成したということになります。そして、実体としての「顎システム」ができました。また、人間が創発的な存在である社会システムにアクセスするためには、コンティンジェンシーとダブル・コンティンジェンシーという要素に分けて考えることができるポイントに立った場合のみアクセス可能であるということになります。他のポイントでは十分にアクセスすることができません。

コンティンジェンシーとダブル・コンティンジェンシーという対を設定することによって、互いの意味や価値など存在を明確にします。なぜそのようなことができるのかといえば、2つともに人間のためにつくった仮説的で相補的な用語だからです。

このように、オートポイエーシス概念では対をなす社会科学的な見方と自然科学的な見方を複合したような立場からの表現になります。社会科学は人間の立場からみた世界に関する仮説であり、あらたな発見により書き換えられる可能性があります。また、自然科学も自然の立場からみた世界に関する仮説であり、あらたな発見により今後書き換えられる可能性があります。

人間が中心となって世界に関与していかざるをえない状況は、人間が存在する限り続くでしょう。社会科学と自然科学は世界の表現方法の一つであって、二つに分けた仮説同士が互いに支えあっている形で、それぞれが独自に存在しています。

これは人間が世界に関与するときには「責任というメス」で切り分けることが必要です。世界を2つに分けることにより、その断面から社会科学と自然科学を見ることができる、という考え方です。世界は決して二つ存在するのではなく一つです。

現在の時点で、世界を社会科学と自然科学に分けて理解する考え方は、仮説のなかでも人間が非常に信頼を寄せている考え方であると私は思います。自然科学とは人間の責任において切り分けた世界の半分であり、自然科学は人間の存在と責任なくして独立して世界の中で存在できているわけではないということです。

生命体は存在に関して継続と変化という宿命を持っていますが、人間の普遍的な共通意識として同様だと思います。それは人間ならばだれでも生まれる前から定まっている運命に対処しなければならないという潜在意識が、人間社会というシステムの形成につながったと思います。それが社会科学です。

ルーマンは、世界は複雑なシステムであり、そのシステムは意味によって構成されるとみなしたのです。ルーマンの考えたオートポイエーシスによるシステム理論の特徴は、世界や人間の社会をつねに複雑系として捉えること、また世界や人間の社会を形成する根源的な単位を「意味」とすること、人間が認識する「意味」を加工したり編集したりするものはすべてシステム由来であるとしたことです。

オートポイエーシス概念は自然世界というブラックボックスを自然科学と社会科学に切り分けるメスであり、両者の立場からの言及が必要とされます。 両者は横並びという関係ではなく、(A/非A) または、相互に (システム/環境) というように特定された関係を持っています。

歯はどのようにして現在の形になったと考えられますか?

オートポイエーシスの概念で歯の生成について言及してみます。オートポイエーシスの概念には人間には完全に管理できない要素が含まれているということです。ただしそれは理論のなかでは肯定的な意味で表現されています。その表現は肯定的ではありますが、1つには決められないようなことということでしょう。現実世界に存在しているものも、なぜ現在のようなかたちで存在するようになったのか、その経緯を知ることができないことがあるということでしょう。これは人間の立場から表現するために、特別な意図を持って試みました。歯は人間がつくったものではありませんので、おそらく歯自身にとっては、進化という要素を含めて当然の帰結として現在の形になったということでしょう。

その理由は、非常に大きい確率で人種や民族を問わず、歯は多少の個人差はあっても同一部位においては、同じような形をしているからなのです。結論はわかっているけれども、それができた過程はよくわかりません。このように歯の形状の本質を理解するために必要な概念であると思います。

私は、オートポイエーシスの概念を要素としたダイナミカル・システム理論は日本に必要であると考えます。「モノづくり大国日本」を標榜するのなら、ぜひこれを取り扱っていただきたいと思います。

一部ではありますがオートポイエーシス概念を使えば、歯や歯列のできた過程を仮説的に知ることができます。その仮説を使えば歯の生成に対して、人間が関与することができると思います。有用性が認められれば、その仮説に何らかの妥当性があるということでしょう。この「できる過程」とは胎児に歯が発生して徐々に形成されていく過程を説明できるということではありません。「歯の形状がいかにして現在の形状に形成されたか」ということに関しては、言及することは非常にむつかしいことです。

考古学的にみれば、ヒト科の祖先の類縁であると思われる類人猿も現在のヒトと同じような構造の顎と歯を持っています。「実体としての顎システム」の基本的な構造は、ヒトが現在のような言語を獲得するよりもかなり以前より存在していたといえるでしょう。

また、現在の類人猿も高度な知能を有し、社会的生活を営んでいます。ヒトの言語よりは低度ではありますが、発声や発音によって感情や意思などの疎通、共有を行うことが行われています。ヒトの祖先も同様であったと考えられます。類人猿が脊椎動物であり声帯も有していることから、ヒトの祖先にも咀嚼と発声、発音という機能が同時にあったと考えられます。

これは、オートポイエーシス概念における複数のシステムの自立性ということにあたります。「咀嚼システム」と「発声と発音システム」は同じ「実体としての顎システム」に重複しているようなイメージになります。

現在では、この「咀嚼システム」と「発声と発音システム」だけでなく、「審美システム」も有していると思います。オートポイエーシス概念によるシステム論を使うと、おおざっぱで部分的ではありますが、システムの面から仮説的に「歯の形状がいかにして現在の形状に形成されたか」を表現することができます。

どのような要素が歯を生成させたと考えられますか?

オートポイエーシス概念で歯の生成を説明する場合、機能分化を担うコミュニケーションコードとして二つの言葉があり、それらはきわめて重要です。一つは、コンティンジェンシー(contingency)と呼ばれているもので、もう一つは、ダブル・コンティンジェンシー(double contingency)と呼ばれているものです。コンティンジェンシーという言葉はきわめて重要であるにもかかわらず、そのもっている意味がとてもわかりにくい言葉です。

あらためて説明すると、この「依存」というイメージには、よく「別様の可能性」とか「機能的な等価性」と訳されたり、「偶有性」、「偶発性」、「本来的偶然性」と説明されたりするけれど、これではよくわかりません。アングロサクソンの伝統には、「コンティンジェンシー」についての2つの意味構成があります。

1つは日常用語で「あるものに依存する」という「コンティンジェンシー」です。もう1つは他にも可能であるという意味での、したがって不可能性と必然性の否定としての「コンティンジェンシー」です。オートポイエーシス概念で表現されるシステム理論にとって重要な言葉の1つです。

それゆえ、人間にとって不確実なこと、不確定なこともコンティンジェントなものとしてすべて含意されています。さらに生起するかもしれない可能性もコンティンジェントであるとされます。コンティンジェンシーとは、日常的に存在する「本来的な偶然性」がかかわっているとともに、ものごとの「生起の本質」もかかわっているものです。

最初に、コンティンジェンシーという言葉を用いて、歯の形が現在のように決定されたことを表現してみます。歯の普遍的な形が現在のように決定されたその事実が、偶発的な出来事によって付随しておこった一連の出来事が、コンティンジェントであるというのです。

これは、歯の生成という人間がかかわらない出来事を、人間の立場で表現するがゆえに創出される表象です。突発的におこった事件や事故について、「まさかこんなことがコンティンジェントにおこるとは思わなかった」というように表現されます。

コンティンジェントであるということは、まずは偶然性や偶発性に自覚的になるということです。それらの存在を意識するということです。継続状態における変化の発生とその対応が求められ、そこに自身が進行方向に向かって投企(とうき)されるということです。

歯の立場になって考えると、歯の前身がみずからにおこった偶発性や偶然性を、その由来からとこれからの行方を情報知覚します。そのコンティンジェントな機会によって出入りした出来事、情報、知覚、思索のすべてを新たに編集していきます。これがコンティンジェントであるということになります。

簡単に表現してみます。あるとき世界の中に否応なしに存在させられていることに気づいた歯の前身が、不安を通してそれらを自覚して現状を見つめ、そこから新たに自分自身の形状と構造をとらえなおします。そこから新しい形状と構造を形成し始めるという表現ができると思います。

この繰り返しによって現在の歯の形状が生成されたと考えるわけです。もちろん、歯には、心があるはずもなく意識もないと思いますが、適当な表現方法がないために、人間が歯の立場にたって表現したものです。あくまでも、超自然的な力や原理の助けをかりず、物理学的、化学的な自然法則だけに訴えるアプローチであることに変わりはありません。

もう一つ、ルーマンのシステム理論においては、ダブル・コンティンジェンシー(二重の条件依存性)という言葉が用いられています。この用語をコンティンジェンシーと合わせることによって自己言及的になり、さらに歯の生成について説明することができます。

現実の状態が偶然によってなされたことの結果であると定義することで、オートポイエーシス・システムの作動はすべてが偶然によっておこなわれているということになります。つまり、偶然性に対して開かれているということです。もともとダブル・コンティンジェンシーという言葉はパーソンズがつくり、パーソンズの社会システム理論で使用した言葉ですが、ルーマンは、パーソンズの二重の条件依存性を独自の解釈に変更しました。

ルーマンは、一方のすることが他方のすることの前提であり、しかもその逆も成り立つという循環はパーソンズと同様です。しかしルーマンは、パーソンズの「共有された価値を元にする」こととは違って、社会システムの成立根拠を二重の条件依存性に求めました。

2者が相対峙しているモデルです。2者は自身の要求と実行可能性を持っています。ある者は他者の実行の仕方に依存し、そして他者はこのある者の実行の仕方に依存しています。つまり、「もしあなたが私の望むことをするならば、私はあなたの求めることをする、という状況」の循環は、関与するシステムのいずれによっても決定されていない事態であるという不安定さが、自己言及的で自立的な機能分化を作り出します。

ルーマンはこのような創発の発生が社会システムを形成する道を示すとしました。私はルーマンがここで思い描いているのはシステムにおける創発の特性であり、それはシステムの構造的特性であると思います。私は歯の生成に関しても同様であると思います。

仮想運動軸法とは、どのようなものですか。

私は実験するために左右の下顎頭の運動が曲線で表現できる特別な咬合器を作りました。そのためにその方法に応じた下顎運動のデータを取得しなければなりません。パントグラフを使って曲線のデータを取得する方法もありますが、ここでは側方運動時に片側2カ所のチェックバイトを使う方法を採用しました。この咬合器は臨床のケースで使うために作ったものではありません。そのため臨床ケースで使うことはできません。

下顎の運動量、運動方向を知るための方法の1つに、チェックバイトを利用する方法があります。通常は片側の側方運動に、1つのチェックバイトを採得します。しかしここで紹介するケースでは片側の側方運動に、2つのチェックバイトを採得します。

1つのチェックバイト使う方法の場合は作業側の下顎頭の運動を無視します。この方法は半調節性咬合器に用いられてきました。しかしここで紹介する2つのチェックバイトを使う方法は作業側の取り扱いが違います。作業側のベネット運動も曲線で再現する予定です。

半調節性咬合器では作業側の顆路の調節機構がなく、その運動経路は咬合器の設計者の意図によってあらかじめ決められてしまっています。非作業側のみの調節機構では、正確に下顎の運動を再現することができません。作業側の動きである、ベネット運動は多少のブレということで無視して、非作業側のみの顆路の調節機構で済ませてきました。

今回ここで紹介したチェックバイトを2つ使う方法は、作業側の顆頭の運動にも非作業側と同様な対応をして、咬合器に下顎の運動を正しく再現することができます。片側一つでは運動経路は直線となりますが、片側二つ使うことで経路を曲線にすることができます。また、歯科補綴物を作るために通常は下顎の前方運動、左右の側方運動が必要ですが、あなたが望めば後方運動を顆路の作成に組み込むことも可能でしょう。

チェックバイトは片側の側方運動につき2つ使います。1つ目のチェックバイトを上顎の歯列模型と下顎の歯列模型の間に咬ませます。下顎運動量の測定方法は、実験用の咬合器の左右の顆頭球とインサイザルピンの先端の移動量を計測します。顆頭球の移動量は、顆頭球と内壁、後壁、上壁の隙間を隙間ゲージで測定します。インサイザルピンの先端の移動量はインサイザルテーブルとインサイザルピンの先端の移動量を測定します。1つ目のチェックバイトの測定が終わったら、2つ目のチェックバイトを咬ませて、同様な方法で測定します。

今測定したデータをCAD内で再構成した実験用咬合器に適用して、下顎の運動を再現します。今回のケースでは、左右の側方運動チェックバイト4つと前方運動用のチェックバイト1つを使いました。合計5つのチェックバイトを使いました。

従来からある機械式や電子式のパントグラフを用いて下顎の運動の測定が行われてきました。この方法は歯科技工士が言及するには荷が重いので、もしもこのような器具の使い方の説明を望む場合は歯科医師が解説を担当すべきでしょう。

こういった測定装置を使う場合、身体から咬合器にデータをトランスファーするとき、きわめて慎重な取り扱いが必要になります。身体と基準面の関係が咬合器と基準面との関係と同一になるように体から咬合器上に位置関係を厳密にトランスファーして再現することが必要になります。また、身体の左右の下顎の顆頭間距離を咬合器に再現することが必要になることもあります。

身体の左右の下顎の顆頭間距離を実際に計測することはむずかしい作業です。上顎模型を咬合器にフェイスボウ・トランスファーするとき細心の注意が必要です。なぜならば、この作業に誤差が生ずると身体で精密に計測した顆路角の意味がなくなるからです。パントグラフで測定したときに得られた基準面と顆路のなす角度を咬合器の調節機構に入力しますが、身体上で設定した基準面が正確に咬合器上に再現されていることが必須条件です。

このように従来のパントグラフ法で計測した場合、器具の取り扱いの厳密さが求められます。

ここで仮想運動軸法の特徴の1つ紹介します。下顎の運動を咬合器で再現するとき身体の左右の下顎の顆頭間距離と咬合器の顆頭間距離が違っても距離の違いが原因で運動の再現度の精度的な問題が発生することはありません。

通常のチェックバイト法では上顎の歯列に対する下顎の歯列の相対的な位置の変化を利用して咬合器の下部の顆頭球の運動経路を取得します。チェックバイトは1つなので、運動経路は直線になります。機械式や電子式のパントグラフ法では、基準面を「0」として顆頭の位置の変化を計測し顆路角として算出する方法です。チェックバイト法とは測定原理が違います。

2つのチェックバイトを使用する方法では上顎の歯列に対する下顎の歯列の相対的な位置の変化を利用して咬合器の下部の顆頭球の運動経路を取得します。チェックバイトを2つ使用するので運動経路は曲線になります。

チェックバイトをもう一つ加えると顆頭球の運動経路に中間点を追加することができます。顆頭球の運動経路は曲線で表現されます。通常、曲線は円弧を使用します。CADを使えば円弧は取り扱いが易しいです。私はこの例を実現しようと考え、実験に必要な顆頭球の曲線による運動路を得るために特別に咬合器を作りました。そしてその様子を動画にしました。

新しい発想法・唯一性と圧倒性というカテゴリーから生まれ、仮想運動軸法を採用した咬合器とはどのような咬合器でしょうか?

これから紹介する仮想運動軸法を採用した咬合器は従来の咬合器と少し違います。何が違うのかといえば、下顎の歯列模型が付着した咬合器の下部が前方運動や側方運動をするための調節機構の構造です。

従来の咬合器では、咬合器の上部の左右に顆路に似せた機械的な調節機構を作って設定していました。それは咬合器の下部を回転させたりスライドさせたりするための仕組みです。

改良した点は樹脂ブロックから自由に運動経路を削り出して使うようにしたこと、もしくは3Dプリンタで運動経路を形成して使えるようにしたことです。つまり、咬合器の設計者が考えた機械的な調節機構から開放されるということです。操作する者の考えによってどのようにでもガイド面を作ることができます。特に重要なのは顆路の運動経路を曲線的に表現できることです。また作業側のベネット運動の再現もできることです。

オペレーターの判断によって測定の操作における偶然性ということで省略されていた要素を運動経路の要素に加えることができます。ユーザーによって簡単にカスタマイズできることは樹脂ブロックから削り出して使う方法や3Dプリンタを使う方法の利点です。運動経路が簡易型でよいのであれば、左右の顆路や切歯路を従来型のように形成します。

唯一性と多様性というカテゴリーというのは、取得した多くの下顎の運動経路の中からユーザーが任意に運動経路を選べることです。身体の下顎の運動と同様に何通りもの運動パスを実体の咬合器で再現することはできません。咬合器に付与する運動経路は歯科補綴物を製作するために必要な運動経路を選べばよいわけです。運動経路はフォッサボックスやインサイザルテーブルを取り換えれば何通りでも再現できると思います。CADシステムならば取得したすべての運動経路を再現できますし、従来では行わなかった下顎の開閉時の運動の再現もできると思います。

歯科医師の先生方がご不自由であることを鑑みて、歯科技工士が作ってみました

私は歯科技工士ですが、発表された症例の断片化された歯科医師からの歯科技工に関するメッセージを、専門誌や講演会で見たり聞いたりすることがあります。これらのメッセージを、歯科技工士が自分の業務である歯科技工の個別の症例に合わせて再構成するということは現在普通に行われていることです。しかしこの方法が患者さんにとっても、歯科医師の先生方にとっても十分満足できる補綴物ができる保障は、必ずしもあるものではないと考えます。

その理由は、歯科技工士は患者さんに接することがないないので、十分な情報がない状態でその仕事を任されても十分責任を果たせないかもしれません。私は歯科医師に個別の症例に存在する問題を統合して、その症例に合わせて最適化し、具体的なイメージとして歯科技工士に示していただくと大変ありがたいと考えています。また、最適化するということは患者さんにたいしてどのように歯科補綴物を作るのかを十分に説明できるということが重要であり、「最適化した」というだけでよいというわけではありません。悪くないものは良いものである、または悪くなければよい、という考え方では十分ではありません。歯科医師が自分の考えを歯科補綴物に込めたいと考える歯科医師に勧めるものです。

上下臼歯の咬合面間の空間の変化を認識すること

なぜ口に歯ができたのかという問いに対して、妥当性のある答えを導き出すことはむつかしく、仮説の域を出ることができません。それとも、歯は本当に咬むために作られたもので、そのような前提で作られている、と断定してもよいのでしょうか。ここで問題にしているのは進化論のような哲学としての生物学的なものが正しいのか、どうなのかというようなことではありません。人間がみずからを認識できるようになり、また直接的に見えるものと見えなくても存在するものがあることを認識できたとき、また、それを人間みずからが管理、維持しようとしたとき、直接見えないものにも思いをめぐらすことが必要であるということです。

目的と手段を考えるとき、目的は見えないものであり、見えるものは手段になります。そのようなことを行うためには従来では利用して来なかったツール、CAE(computer aided engineering )などが必要になり、こういったものがなければ実行できないと思います。歯の形と構造は自然の法則によってできたものであり、その自然の法則とはどのようなメカニズムになっているのでしょうか。それを人間がどのようにしたら利用できるのか、関与できるのでしょうか。自然の法則といっても観念のレベルにとどまらず、具体的なメカニズムにまで言及できるシステム論はそれほど多くはありません。私はオートポイエーシスというシステム理論を採用するとよいと思います。

オートポイエーシスでは、①重複する機能、②支える成果メディア、③コードの種類、④プログラムの分類どの観点から考察することを推奨しています。人間が行うのであるから人間があらかじめ確認しておくべき2値のコードがあり、ここでは歯科技工をすること、歯科補綴物をつくることに焦点を当ててみます。

歯科医師が詳細にまで設計し、最適化された補綴物について

現在でも基本的に歯科医師が承認して、口腔内にセットされたものはすべて最適化された歯科補綴物であると考えることができると思います。つまり「最適化」の定義とは、考え方と手法がオートポイエーシスの概念に沿ったものということができると思います。では最適化の具体的な例をあげるとどういうことがありますか。

自然界の複雑な事例に関しては、取り扱う対象に見合った方法が必要なのだと思います。科学は、人間の思うこと、考えることができる可能性の選択肢を増やして、自然世界に対して言及できる範囲を広げることができます。複雑性の縮減とは、人間が複雑なものを取り扱えるようになるということです。人間の思考のレベルやチャンネルを自在に変えるということです。複雑なものを取り扱うにはそれを理解し、オペレーションする方法を獲得しなければなりません。とにかく自然世界は非常に複雑で、知れば知るほどその奥には、より複雑なものが待っていると思います。最適化とは、目的に対して人間が十分に管理できるようにすることということが出来るでしょう。

私は「全領域再現性咬合器システム+人工知能がアシストするCAD」は対称的な概念の応用であり、その実用化の一例であると思えるからです。

私は歯科技工士です。歯科技工士に歯科補綴物の作成に関する発言を要請されるのは、歯科医師の観点ではない歯科補綴物の作成に関する発言が望まれていたのではないかと思います。

もし従来のような「歯科医療の前進のためだけを目的にする」という、歯科医療からの発想に基づく発想が求められるならば、歯科医師が歯科治療の中での中心的な立場と、歯科医療に関する責任の名においてなさればよかったことではないかと思います。日本の大学にもそのような研究するための仕組みがあるはずなので、私のように個人で行わなくても、それ相応な研究機関で行うことができたのではないでしょうか。

「全領域再現性咬合器システム+人工知能のアシストがあるCAD」を、どうしても世の中に出してほしいという要請が、「全能の神」からの要請であると思われたからこそ、私は何よりもこの案件を優先して続けてきました。そのように思わなかったならば、クリスチャンにもならなかったし、またこのようなものを作らなかったでしょう。そのようなことを続けても、費用が掛かるだけで何の得にもなりません。また歯科技工士が「中心位にまつわる定義」を提案しても「おめでたい人」といわれ、誰も相手にしないでしょう。(参照URL:https://krdental.com/project/centric-relation/)

それにもかかわらず、続けてきたのは「全能の神」からの「どうしても歯科技工を新しい方法で表現して従来の方法を修正してほしい」という強い要請が働いているという感触が私にはあったからなのです。

それは「日本人が対称的な概念を現実世界において何かを実用化させることこそが、人間自らが望む未来を構築できる唯一の手段であり、その過程を示せ。」ということなのです。従来にはなかった新たな観点からの発想で「中心位にまつわる定義」を提案し、それに関する技術的成果を表すことだと思います。

私は治療や診断に関しないことで、歯科技工士が歯の形などについて今までにない観点からの知見を語ることができると思います。

臼歯の咬合面の凸凹は物を咬むためにできた、これは事実ですか?

口の周りに歯ができた理由を見つけることは新しい発見なのでしょうか、それともいくつかの事実から想起される仮説の一つなのでしょうか。口の周りに、偶然に歯のような硬い物が出来たのだけれども食物を体内に取り入れるために大変具合がよいので、そのまま性質として残った個体が自然選択されたのでしょうか。私は、「臼歯の咬合面の凸凹は物を咬むためにできた」というような、このように言い切った表現をした歯科専門書を見たことがありません。歯科医療にとって、その起源は特に問題視されないためなのかもしれません。現時点では仮説として取り扱われているということだと思います。

ところで「手を離すとりんごが落ちること」、この現象は特別のものであるとニュートンは認識し、それを引力と名づけ、その法則が発見されました。いまさら取り立てていうことでもありませんが、落ちるという現象は、実は物体どうしは互いにひきつけ合うということだったのです。イギリスの物理学者であるニュートンは、質量を持つすべての物体には「引力」があることを発見しました。

この現象を「万有引力」と名付け、2つの物体の間に働く万有引力は2つの物体の質量の積に比例し、距離の2乗に反比例します。海の潮の満ち引きも、地球と月の間に起こる「万有引力」の影響で起こっているのです。物を手から離せば落ちるということを、ただ単に当たり前のこととしていれば、特別に関心を持つ対象にならず、あえて言及することもない現象としての取り扱いになってしまします。

ニュートンがなぜ認識できたかといえば、「落ちること」に唯一性として認識したからです。ニュートンは、万有引力が質量をもつ万物に生じる力であることを実験して数式として定式化し証明しました。万有引力を実験と理論で体系的した功績が大きいことが指摘されています。

引力の発見と「咬合面の凸凹は物を咬み易くするためについている」、という発見は本質的には同じであると思います。これらは共に自然がつくったものです。人間が作ったものではありません。しかし、歯で物を噛むことは、人間だけでなく他の動物たちも日常的に行っていることで、今さら歯の存在理由について言うことはありません。歯科治療における歯科技工に利用するにあたり、あらためて表現してみます。

自然界において何らかの客観的な理由があり、その理由に基づく仕組みが口の周りに歯を作ったという考え方は、必然性と偶然性というカテゴリーから生ずる考え方です。その理由を発見することはとても難しいことです。この方法で歯の生成を考えよう、説明しようとすると極めて困難な作業になると思います。サルの咬合どころか、もっと前の世代から始めなくてはいけません。

ここで唯一性と多様性というカテゴリーを用い自然科学と社会科学を併用することで、人間の世代から研究を始めることが出来ます。研究の目的は人間の咬み合わせなので、目的にかなっています。私が思うことなのですが、自然科学の立場から積み上げる方法で徐々にボトムアップしていっても、臼歯の咬合面の凸凹がなぜできたのか、ということまでたどり着くことができないのではないかと思います。自然にできたことなのだから自然科学ですべて解決できそうなのですが、どうもそうではないようです。

私は人間が世界を理解するためには対になっている自然科学と社会科学が必要であると思います。生物は人間が創ったものではありません。私はこのようなものに関して全体の仕組みを理解し解明するために両面からのアクセスが必要であると考えます。

なぜそうなのかという疑問に対しての答えは、従来のボトムアップ式の積み上げではうまく行かなかったから他の方法を考案した結果、それがオートポイエーシスという発想に行き着いたのだと思います。生物を順序立てて発生から説明する、つまり生物の仕組みを最初からどうしてこうなったのかということを、進化論のように説明することはきわめて難しいことだと思います。

生物の仕組みについてダーウィンの進化論では説明されていない部分も多くあります。特に生物の発生に関しては言及できていないといわれています。私は人間の口腔の仕組みにアクセスするためには、現在において認識できる口腔の状態を自然科学と社会科学の両面からアクセスして目的に迫るという方法になると思います。私は考古学的なレベルでの「時間的にさかのぼること」は必要ないと思います。

私は自然科学と社会科学は対になっていますが決して対立する関係ではないと信じます。したがって、同じ対象に対して2つの科学を組み込んだとしても矛盾が生ずることはないと信じます。1つの対象にダイナミカル・システム理論を適用して優先度を問われたときは社会科学よりも自然科学が優先されます。ここで紹介したダイナミカル・システム理論は創発的二元論とも呼ばれていて、ダブル・コンティンジェンシーよりもコンティンジェンシー側が優先されます。

ところで、クラウンやインレー、セラミックフレームを汎用CAD (Solidworks)を使って設計します。この汎用CADで歯の形状を作成したり編集したりするとき、本数が少なくても手作業ではかなり手間と時間が掛かります。歯科専用のCADを使えば、専用のコマンドがあり操作も簡単かもしれません。しかし汎用のCADで歯科技工の操作をするのはかなり大変です。クラウンの外形を編集する場合、最初に基本形状を読み込んで、症例に合わせて編集ポイントを移動させて外形を変形させます。特に大変なのがインレーの編集です。臼歯の咬合面の欠損した部分だけのサーフェスを作成することが大変なのです。汎用CADには、そういった専用コマンドがありません。できないことはありませんが難しいのです。これらの作成例は本文の後半にビデオで紹介しています。

これらの作業を人間が直接行った場合、時間と手間がかかり実用的ではありません。これらの作業を効率的に行うには人工知能の機能をぜひとも活用したいものです。手作業ですることは苦行に他なりません。

ディープラーニングの3Dポリゴンメッシュの表現学習は、その特徴空間内のいかなる点も適格な空間的な表現であるように、メッシュ群がどのように表示されるかを記述する最も重要な高レベルの特徴を決定するものです。

特徴空間の特徴の値を操作して作り出した新しい表現は、個々のメッシュを人間が手動で直接操作しようとした場合に比べると、元のポリゴンメッシュ領域に変換し直したときに本物の歯らしく見える確率がより高くなります。これらは数式もしくはプログラムで表現されます。

デカルトの生体機械論について

(デカルト哲学と生体機械論の問題・本多英太郎・愛知県立大学外国語学部紀要第38号言語・文学編「この文章はPDF版より一部抜粋して追加編集しました」)

科学的な知の探求の歴史の中でデカルトの役割は否定できません。その機械的世界論は様々な分野に応用することできて、伝統的な世界観の区分に従えば、宇宙であるマクロコスモスにだけでなく、生体であるミクロコスモスにも深く関係しています。物理学上の業績のみに17世紀科学革命の意義を求めるのではなく、ハーヴェイとデカルトにおいて人間が本格的に医学、生理学上の研究対象となったことにもその科学革命の意義を探求してみる必要があります。晩年デカルトが執筆に取りかかっていた未完の生理学書「人体の記述」は、次のようなことが記述されています。

*ウィリアム・ハーヴェイ(1578-1657)は、イングランド王国およびイングランド共和国の解剖学者、医師。医者としての腕を磨き宮廷の侍医にまで上り詰める一方で解剖の研究を進め、血液循環説を唱えた。

ヒポクラテスの医学の重要な功績のひとつに、医学を原始的な迷信や呪術から切り離し、臨床と観察を重んじる経験科学へと発展させたことが挙げられます。デカルトの生体の哲学はヒポクラテスの医学のような人体の健康を保持し、疾病を治療し、追放する医学というようなものではありません。デカルトの医学である生体の哲学の特徴は、その基礎科学の第一部門となる健康な人間の本性の全面的な記述である生理学の領域にとどまっていることです。

機械論的自然観を根拠にして、もっとも鮮明に人体機械論および動物機械論をわれわれに提示したのはデカルトであり、その影響力のおおきさを考えれば、われわれはこの問題をデカルトにおいて検討せざるを得ません。デカルトの生体論の思想の特徴は、自然科学の観点から解明すると、数学によって解釈できるために自然的なものと機械的なものは同質であるということです。

近代における自然科学の中心課題は、物体の運動の問題であると考えてよいでしょう。その場合、伝統的に2つの世界を想定することが考えられます。一つはマクロの世界です。それは無限に加算、分解可能な、したがって無限大と無限小に開かれた物体による世界です。もう一つは生体のミクロの世界です。それは空間的に限定され、閉ざされた世界に、その根本的な原理運動を理解することができます。

前者にはガリレオガリレイ、デカルト、ニュートンに至る慣性原理を根幹とする天体の運動です。後者にはハーヴェイの生理学に代表される血液の「永続的な循環運動」です。したがって、2つの運動をイメージとして捉えれば、それぞれの世界の運動は直線と円によって表象されると考えてよいでしょう。天体における物体の慣性運動は直線です。そして生体における血液の循環運動は円運動です。歯科分野における下顎運動の原理的なモデルをデカルトの生体機械論に求めようとする本件においては、生体における血液の循環運動は関係ないのでここでは触れないでおきます。

デカルトは、生体の運動と機械の運動は同じものなので特別な原理を必要とせず、慣性の法則を根幹にした物体の機械学的な法則のもとにあるとしています。生体の運動と機械の運動は連続的です。我々は生体を問題にしながら、生理学あるいは生物学からおよそかけ離れた地点である機械学の領域に足を踏み入れようとしています。しかしデカルトはこのような方法による生体の解明が科学的な実証性と厳密さを欠いたものであるとは考えていません。

デカルトの生体論の特徴は機械についての多くの言及があることです。デカルトは解剖学に依拠しつつ、機械についての多くの言及をしています。それは生体の運動を数学の次元に位置付けること考えていたからです。というのも、自然科学は厳密に数学の研究にほかならず、そして数学が機械学を支える土台だからです。

生体の運動の究明は、その対象が生命ある物体、すなわち、自動で動く物体である生命だということから、数学の厳密性と無縁な何か未知の原理による知の探究の対象であるなどと考えてはいけません。デカルトは解剖学と機械学こそが、生体の研究の知の方向性をあきらかにすると考えました。機械と生体の本質的な同一性を確実に推論するものが、機械でいえば分解であり、生物でいえば解剖学です。デカルトは実験的精神を支えにして機械論的な観点から生体の運動を解明しようと試みました。デカルトの思想は仮説を拠り所にした独断論的な定義や原理から始める議論であると安易に判定してはなりません。

デカルトの業績は科学的真理としては十分ではないかもしれませんが、生体の生理学的研究の方向性において、現在でも卓越した効力を持っていると言ってもよいでしょう。人間が自然科学上の一対象として考察されるかぎり、身体に係わる機能は機械技術の法則にもとづいて基本的には説明できるのです。

デカルトは生体と機械の違いについて次のように述べています。「人間は、多くの様々な自動機械、すなわち動物に似せた動く機械を製作することができます。しかし動物を模した機械は、生体の内にある多数の骨、筋肉、神経、動脈、静脈その他のすべての部分に比較し、ごくわずかな部品しか使用されていません。人間の体は神の手によってつくられたものであるから、人間によって発明されうるいかなる機械よりも比較にならないほど整然とした秩序をもち、そして驚嘆すべき運動をそのうちに備えている一個の機械とみなすことができるでしょう。神の手による機械と人間の手による機械とのあいだにあるのは、本質的な差異ではなく、複雑さという程度の量的な違いであると考えることができます」。

ナソロジーが残したもの

この見出しから見ると、ナソロジーはすでに見捨てられた概念のような表現になっていますが、歯科技工士である私が発言する資格はないと思います。ここで言いたいこととは、ナソロジーは顎口腔系を機能的な一単位として研究、治療することを目的とした学問であり、その後の歯科治療に関する方向を定めたということです。事実として「歯界展望の2022年7月号」の特集の「中心位を再考する(理論編)」というレポートでは、「現在では終末蝶番軸を記録する臨床家がほとんどいなくなった」と報告しています。

ここでは歯科技工の知識なくしては考えられないのはもちろんなのですが、オートポイエーシス概念というものを歯科技工に導入して考えることを試みてみました。これは歯科技工の臨床の経験の中で思いついたことから始めたわけではありません。それゆえ、歯科医師ではなく歯科技工士でもナソロジーに何か言及できるのではないかと考えました。オートポイエーシス概念というものは特別に歯科とは関係のないものです。デカルトの生体機械論は特に歯科医療関係にないことですが、アメリカの歯科医師はそれを導入してナソロジーを作りました。そのいきさつとオートポイエーシス概念というものを歯科技工に導入することは似ていると思います。

ナソロジーとは、アメリカの歯科医師ハーベイ・スタラード(1888~1974)とビバリー・マッカラム(1883~1968)が提唱した、おもに有歯顎の咬合再構成を通して、顎口腔機能を回復させることを目的とした学問です。

理想咬合の定義を考えてみましょう。理想咬合とは、人間にとってもっとも適切と想定される噛み合わせ状態です。デカルトは人間の顎の状態や噛み合わせについて言及していませんが、神の手によって人間の体は作られたとしています。もしデカルトが咬合の状態に言及した場合、理想的な状態に物理的に作られていると考えたと思います。それをデカルトがどのように表現したのか想像してみました。

人間の体は神が作ったのであるから理想的であり、完全で非の打ち所がありません。したがって、人間の咬み合わせも理想的であると思います。神は人間の「設計」を作りました。しかし物質で作られた現実の人間の咬み合わせは神が直接作ったものではありません。

神が作った設計とはどのようになっているのでしょうか。上下の歯列が理想的な排列になっています。さらに上下の歯列の咬み合わせも理想的になっています。下顎が開口を始めたとき、初期状態では下顎の下顎頭が全くブレのない純粋な回転運動をします。さらに下顎の開口度が大きくなると下顎頭が徐々に前下方に移動しながら開口するように作られている状態を理想咬合とするとします。ただし、ここでは個別の歯がどのように歯が並んでいるか、上下のかみ合わせがどのように構成されているのかなどの具体性にまでは言及しないでおきます。(URL: https://krdental.com/project/centric-relation/)

「現実の生体の顎の骨や歯列」と「神が設計した理想の顎の骨や歯列」の違いは、何でしょうか。ここで中心位の定義というものをデカルトの生体機械論の概念を借りて表現してみます。

神が作った理想状態の下顎が開口したとき、開口運動の初期状態では下顎の下顎頭が全くブレのない純粋な回転運動をします。しかし、現実の顎の下顎頭が全くブレのない純粋な回転するとは考えられません。純粋な蝶番軸というものは生体には存在しないと思います。運動学的な剛体の自由度は6自由度あります。したがって、下顎骨にも6自由度あります。下顎には運動学的に純粋な蝶番軸は存在しますが、実際に筋肉が下顎を幾何学的に純粋な蝶番軸運動だけをさせることはできないと思います。

中心位とは、神が作った理想状態の上下の歯列が中心咬合位で咬み合わせたとき、そのときの下顎骨の顆頭と上顎骨の下顎窩(関節窩)内の位置関係と表現できると思います。神が作った理想状態と現実の生体における下顎骨の顆頭と上顎骨の下顎窩(関節窩)内の位置関係との違いは何でしょうか。

それは、下顎を動かす筋肉などの駆動系も含めて、生体自身によって下顎の関節頭の周りの組織が最適化されているか、それとも神によって下顎の関節頭の周りの組織が造られているかの違いだと思います。

ただ、理想状態というのは神の設計であるので、具体的にどのようになっているのか人間は知ることができません。唯一参考になる事例は、健常な人間の同様な部位の組織の状態です。これは神の設計と最も近いと思います。理想状態というのは具体的には不明です。神の設計は理想であるので、現実を最適化したものでも本来の理想的な状態とは少し違う可能性があります。神の設計と現実における最適化は一致するかどうかという問題です。

人間は身体の成長期から完成期などの期間に、歯列や顎の骨、下顎頭周辺の組織などをどのようにして最適化してきたのでしょうか。私の考えですが、おそらく生体は神の青写真のようなものを持っていて、それに一致するように成長していくのではないでしょうか。ただし、その個人の生活環境や生活習慣などによって変化することが考えられます。人間の歯列のかみ合わせや下顎骨の顆頭と上顎骨の下顎窩/関節窩内の位置関係は、身体の成長とともに徐々に関係性が確立されたと予想されます。したがって、治療のために短期間に中心位を決めなくてはならない場合でも、試行錯誤しながら行わなくてはならいでしょう。

咬合再構成が必要な治療をする場合、あらたな中心位を決めなくてはなりません。従来の考え方では、「必然性と偶然性」というカテゴリーからデカルトの生体機械論を理解するために、必然性といえる歯科医師が独断的に下顎頭の位置を決めていました。

中心位を歯科医師が独断的に決定するよりも、私が紹介したオートポイエーシスから生ずる「最適化」の方が本来のデカルトの生体機械論の考え方を具現化していると思います。

中心位は生体機械論の運動学的な基準位置です。デカルトの生体機械論には、「多様性と唯一性」のダイナミカル・システム理論の適用が似合っていると思います。理想が現実になるとき、さまざまな事情で理想と一致でなくても、生体自身によって最適化されると考えます。

「中心位」と「ターミナル・ヒンジアキシス」は似た概念の言葉ですが、「ターミナル・ヒンジアキシス」こそ、デカルトの生体機械論における神が設計した「中心位」そのものであると思います。健常な人間の中心咬合位における上下の顎の位置関係を「中心位」としたと思います。デカルトならばこのように考えたでしょう。

これは私の思うところですが、従来のナソロジーはデカルトの生体機械論から派生した考え方であり、必然性と偶然性という組み合わせのカテゴリーからの理論体系で意味づけがなされているのではないかと思います。従来のナソロジーは歯科における生体機械論の一つの表現方法であると思います。必然性と偶然性という組み合わせのカテゴリーからの取り扱いを「中心位」という位置の決定という問題に焼き直しをしました。ただ、言葉の上では必然性と偶然性と2つであるとしていますが、必然性という厳然たる法則性と偶然性というあいまいさは緊密に絡み合っていて、実際に正確に分けることがむつかしいことがらなのです。日本の歯科医師の先生方もかなりご苦労されたようです。これに真剣に取り組んだ歯科医師もいらっしゃいましたが、こういったものには興味を示さなかった歯科医師の先生方もいらっしゃいました。

私がナソロジーという言葉を知ったのは、今から40年以上前です。歯科技工士になってからしばらくしてからでした。その頃知ったことは、人間の下顎にロボットの顎のような純粋な回転軸があるという話なのです。「不思議な話である」と思いました。そのこと以外はそれなりに納得できる内容であると思いました。あらためて考えてみると、このようなことは診断に関することなのです。「中心位」がどこであるかなどということは歯科医師本人が実際に歯科技工をするのであれば価値があると思います。しかし補綴物を作る専門の歯科技工士が勉強してもあまり意味がないのではないかとも思いました。

その理由は、歯科技工士は歯科補綴物を実際に作るのですが、基本的に当該患者に接することはできません。こういった咬合再構成をするような難しい症例では、歯科補綴物の製作に関する裁量権の問題で、当時ではワックスアップをしてみて歯科医師に意見を聞いたり、修正をしていただいたりとかなり面倒です。また、歯科技工士は治療の結果を見届けることが出来ません。それなのに、あれこれ考えることが無駄ではないかもしれませんが、面倒で如何なものかと思いました。

実際、回転軸がどこにあるかということは診断に関することであり、歯科技工士には関係がありません。それがどこであろうと歯科医師自身の問題であり、歯科技工士には直接的には関係ないことです。歯科技工士に関係があるとすれば、軸の位置がずれると製作した歯科補綴物の調整が大きくなり、最悪の場合、再製作になる可能性があることです。

ナソロジーは人間の下顎の運動に関することにもかかわらず、何ゆえに、このように機械人間の下顎の運動に当てはめるようなことをされたのでしょうか。とても不自然に思いました。その背景には、ナソロジーは歯科の臨床経験から説き起こされた歯科医学というものではなく、デカルトの生体機械論という観点からの出発点ではなかったのかと、今考えるとあらためてそう思いました。ターミナル・ヒンジアキシス(終末蝶番軸)に伴う中心位という下顎の位置の決定の定義は時代の流れとともに、何度も変更されました。

ところで、これは今、私が思うことなのですが、最初に考案したナソロジストたちは、ターミナル・ヒンジアキシス(終末蝶番軸)をどのように解釈するかということを世界の人々に問いかけたのではないでしょうか。私は、その深読みすることで現れてくる最初に考案したナソロジストたちの問いかけに対して、「仮想運動軸」を使う方法を提案します。これは現実世界と唯物論的世界観の関係ではなく、形而上学的概念をもっと考慮すべきであったということを促すことが目的です。現実の自然世界では運動に関して、純粋に回転成分と移動成分が別れているものが少なく、下顎の運動もその例に漏れることはないと思います。

従来のナソロジーは、分断された歯科の知識の断片を束ね合わせるということに貢献したと思います。つまり歯科医療をシステムで考えるということです。また、歯だけでなく、顎の関節を含めた口腔全体を一つの単位として治療をするということともいえます。

※形而上学(けいじじょうがく)とは、感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性(延いてはロゴス)的な思惟で認識しようとする学問ないし哲学の一分野。世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根因)や、物や人間の存在の理由や意味など、感覚を超越したものについて考える。ウィキペディアより

※必然性と偶然性の相互浸透の例

一辺が10mmの鉄製の立方体を10個並べて寸法を測ると、おそらく100.1mmとか99.9mmになるでしょう、100mm丁度になることはほとんどないと思います。数学というか、算数的には10mm×10=100mmです。これは理想世界の話で、現実には、目には見えないごくわずかな誤差も、積算されると扱いに困るほどになってしまうことがあるということです。10,000個とか、1億個、100億個になると、より顕著になると思います。

中心位にまつわる議論についての考察と提案(その3)へ続く

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