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公開書簡③(天皇陛下にお願いする具体的な要件を申し上げます)

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天皇陛下にお願いする具体的な要件を申し上げます

 現在、天皇陛下は神道と仏教において重要な役割を持っておられます。それに加えて、日本におけるキリスト教の新しい団体の創立者となって、「中興の祖」の一つとなっていただきたいのです。つまり、従来のキリスト教を少し違った表現方法で表すことを考えてみたらよいのではないか、ということなのです。そして、その創立者になっていただきたいということなのです。ご存知の通り、日本におきましてはキリスト教徒の数は大変少ないのです。全人口比率におきまして1%未満です。日本においてキリスト教徒が少ないのは、いろいろな理由が考えられますが、一番大きい理由は、天皇陛下がキリスト教に対して社会的な役割を持っていらっしゃらないからではないかと思われるのです。言い換えますと、日本においてキリスト教が十分に認知される対象になっていないということです。

 神道や仏教は、日本という国、もしくは日本国民に対して、あらゆることに関する重要な役割を果たしてきたという長い歴史と実績を持っています。

 エドゥアルド・スエンソン(デンマークの海軍士官)の著書「江戸幕末滞在記」によりますと、「神道は旧来より日本の国家宗教でしたが、六世紀半ばに仏教がもたらされ、瞬く間に普及しました。この二宗教の最高権威としてミカドが君臨されています。ミカドは神道ではまさに神格化され、神として拝まれています。仏教の方でも神としての威厳が与えられています」と書かれています。

 このように、神道や仏教は、日本において天皇という存在において認知され、宗教的な意味において社会的な役割が与えられ、また国民においても日本とは不可分な存在として認知されていると思います。

 ところで、キリスト教は1549年にイエズス会のザビエルによって伝えられ、南蛮貿易とともに宣教師の活動が拡がり、17世紀初頭までに西日本中心に布教されました。その後、豊臣秀吉のバテレン追放令や徳川家康の禁教令、鎖国など、長きにわたり日本におけるキリスト教の信仰の自由が制限されてきました。ようやく1873(明治六)年には禁教令が廃止され、家康の1612年の天領禁教令から262年ぶりに日本におけるキリスト教信仰の自由が回復されました。

 ご存知の通り明治以降、西洋の軍事関連の技術や各種の機械に関する技術の日本への導入など、科学や文化面におきましても多くの実績、貢献などはすでに実証済みのことだと思います。西洋からもたらされたこれらの科学や技術、文化的な貢献が日本流に醸成されて、日本人が海外へ出ていく道を開くことができたのだと思います。

 さて、世界を見渡してみますと、キリスト教という宗教は認知されている宗教であると思います。人口比率としましても世界の人口の約33%(2016年・東京基督教大学 国際宣教センター調べ)がキリスト教徒であり、数字が如実に表しています。日本においては1%未満(2016年・東京基督教大学 国際宣教センター調べ)です。キリスト教というものが日本にとって正しいものなのかということに関しては、客観的に示すことは難しいことです。宗教というものには信教の自由という権利が与えられており、他人から強制されるべきものではありません。天皇陛下におかれましても同様であると思います。客観的条件からキリスト教を選択する必然性が生じることはありません。
 このようなことから、私は日本国民の一人として天皇陛下にお願いしたいと思います。日本においてキリスト教を根付かせていただきたいと思います。

 一口にキリスト教といってもカトリック、プロテスタント、東方教会、その他など、すでに非常に多くの数の教会が日本に存在しています。すでに日本に数ある組織の中から選んで属するのではなく、日本で独自に創出されたキリスト教の新しい団体の創立者、「中興の祖」となっていただきたいと思うのです。

 イタリアの「近代科学の父」とよばれるガリレオ・ガリレイは敬虔なカトリック信徒でありましたが、天文学や物理学の分野において偉業を残されました。彼は、「宗教と科学は敵ではなく、同じことを語る異なった言語である。」といいました。(映画・「天使と悪魔」より引用)この2つのものは同一レベルで取り扱うことができるものであると思います。

 この新しい教団で主張したいことは、科学と宗教(キリスト教)は、不可分であるということを明確に伝えたいということです。科学と宗教は一体のもので不可分であり、かかるすべての条件に照らし合わせて、総合的に判断することを推奨します。「すべてを一挙に捉える」、これがキリスト教の真価であると思います。そしてこのことは、「自分で自分を救うことができるのか」という、「自己救済」という概念への飛躍へとつながります。これは宗教として成立するかどうか、わかりませんが、「全能の神」からの依頼である、という私の思いから、このようなことを書いてみました。

 日本人にとって大切なのは、本当に「全能の神」がいるのか、いないのかではなく、また、信じるに値するのか、しないのかでもなく、世界にはすでに「全能の神」がいると信じている人々が非常に多く存在していて、信じることによって、非常に多くの具体的な実績を上げているという事実をあらためて認識することが極めて重要であります。今の時代において、「全能の神」について真偽を考えることは、すでにナンセンスです。日本がキリスト教を受け入れた国になるためには、その世界中の人々がすでに信じている「全能の神」というものがどういうものなのか、日本人として腑に落ちるように理解すること、また、どのように理解しているのかを、世界中の多くの人々に説明できるようになることが必要であると思います。

続く

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