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復活されたイエス・キリストと共に歩む自己救済3その4

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散逸構造の不思議

 私たちの存在、それは一つの奇跡です。熱力学の第2法則にしたがい、世の中が乱雑さを増し無秩序になる方向に進んでいるのであれば、なぜ生物という秩序そのものといえる存在が生まれ、それが進化することができたのでしょうか。このことは科学における難問の1つでした。このことをして、神の存在と証明する人も少なくありませんでした。その難問に答えをもたらしたのが、エネルギーの流れがもたらす構造についての研究です。

 地球のように継続的に外部からエネルギーを受け入れ、それを最後に放出する系のこと開放系ないしは非平衡系といいます。このようなエネルギーの流れを持つ世界では、秩序から無秩序へと向かう一方向の過程の中で、特定の秩序を持った構造が局所的に立ち現れることがあります。熱帯地方の熱を取り込んで自然に発生し、成長していく台風がいい例です。台風は、熱帯地方の暖かい海水からエネルギーの供給を受けることで、渦を巻く構造を作り出します。やがて陸地に上陸したり、緯度が高く海水温が低い地域へと移動したりしていくことで海水からのエネルギー供給が細るようになり、構造の維持が不可能になったところで自然に消滅します。こうした秩序の究極の事例、それが、私たち「生物」だったのです。

 1917年にロシアで生まれた科学者であるイリヤ・プリゴジンは、エネルギーが流れる開放系の研究を通して、局所的に秩序が立ち現れることがあることを発見します。それを彼は「散逸構造」と名付けました。この発見により、太陽から継続的にエネルギーを受け取る地球環境のような開放系の世界においては、生物という秩序が自然に発生することがあり得ることが説明されたのです。散逸構造の研究で大きな成果を挙げたプリゴジンは、 1977年にノーベル化学賞を受賞し、私たちは自らの存在を科学的にも信じることができるようになりました。私たち生物は、太陽が作り出す大きなエネルギーの流れの中に生まれました。そして、光合成や捕食を通じて太陽が放つエネルギーを貧欲に吸収していくことで、次代へその命をつなぐだけでなく、少しずつ進化の階段を昇り始めたのです。私たちは、大きなエネルギーの流れの中で生きている、いや生かされているのです。

文明とは散逸構造そのもの

 プリゴジンが切り開いた散逸構造について考えていくと、それが私たちの文明の将来を考えることにも資することに気が付きます。なぜなら、私たちが築き上げた文明とは、大きな歴史的な時間の流れの中で立ち現れた散逸構造そのものであるからです。

 人類が文明を興し、繁栄を謳歌していく物語は、知識を蓄積していくことでもたらされました。知識の蓄積はまず、言葉が発明されたことによって可能になります。それまでは伝承できずに1代限りで散逸することを余儀なくされてきた個々人の経験や技術が、言葉の発明によって世代を超えて伝わるようになったからです。世界各地で口承で伝承されてきた神話や昔話の数々は、言葉によって経験や知識を次代に伝える工夫です。そこでは韻を踏んでリズムを作ったり、反復を繰り返したりする手法が使われました。ホメロスの叙事詩は、そうしたものを代表例だといえるでしょう。技術の伝承については、言葉による説明に加え、実際の作業を反復することで支えられました。この時代の技術の伝承方法を示唆する、極めて興味深い儀式が今に伝えられています。伊勢神宮において毎朝行われる「火おこしの儀」と呼ばれる儀式がそれです。ヒノキの板にはヤマビワで作られた芯棒を摩擦させて発火させるという、古代から変わらぬ方法で毎朝火を起こすのです。これは文字のない時代に、「火おこし」という高度な技術を確実に次代に伝承するために編み出された手法だったと考えられています。

 やがて文字が発明され、後には紙が生まれます。記述の方法も、口承の伝統を色濃く残すリズム主体の韻文形式から、より自由な表現が可能な散文形式が登場し、世代を超えた伝承はより正確で複雑なものになっていきました。ここに知識が重層的な積み上がる基礎が完成します。例えば、口承では伝承することが難しい哲学の本格的な発展は、プラトンが自らの師であるソクラテスの言葉を散文の対話形式で書き残したことに始まります。ソクラテスは生涯を通じて自分の言葉を自ら書き残すことはなく、その弟子のプラトンが著述にあたって対話形式を選択したことを考えると、この時代が口承から文書化への移行期であったとも考えられます。そしてプラトンの弟子として、万学の祖と呼ばれるアリストテレスが歴史の舞台に登場するのです。

 こうした人類による知識の蓄積はすべて、秩序をもたらすもの、すなわち散逸構造です。知識の蓄積が臨界点を超え、光を放ち始めたのが文明の興りであるわけですから、人類の文明とは大きな歴史的時間の流れの中で立ち現れた散逸構造そのものだといえるのです。散逸構造を維持するためには、外部からの継続的なエネルギー供給を必要とします。そして、エネルギーの供給が途絶えると、構造はたちまちのうちに消滅してしまいます。古代のメソポタミアで始まった都市文明では、人的エネルギーをふんだんに投入することで建物や道路を整備し、都市という秩序を作り上げてきました。しかし、森林喪失による土壌の流出によって土地の砂漠が進み、人々が街を捨てるようになると秩序は失われていき、人の手が入らなくなった街はやがて土へと帰っていきました。

 熱力学の第2法則が支配するこの世の中で、一定の秩序を維持するためには、常に外部からエネルギーの供給を続ける必要があります。これが散逸構造の議論が導き出すひとつの結論です。人類は文明が発祥した古代の世界から現在に至るまで、連綿との知識の蓄積を続けています。蓄積された知識を「構造」として維持、発展させていくためには、より多くのエネルギーの投入を必要とします。これが、過去から現在に至るまで、人類によるエネルギーの消費量が一貫して右肩上がりで伸び続けてきた理由です。より複雑で多様な「構造」を維持するためには、より多くのエネルギーの投入が必要となるのです。知識の蓄積で成り立っている現代社会文明を維持・発展させていきためには、エネルギー消費量を引き続きふやしていくほか手だてがなくなってしまいます。

 質の高いエネルギーが有限である以上、こうした社会は古代文明の数々が陥ってしまったように、いずれ破綻する運命を逃れられそうにありません。持続可能な社会を実現するために、私たちはどのような姿勢でエネルギー問題と向き合ったらよいのでしょうか。

 第1に向き合うべきことは、技術革新による問題解決の無邪気な期待を慎むことでしょう。 現代に生きる私たちは、情報通信技術の日進月歩の進化を目の当たりにしていることもあり、いかなる問題も最後は技術革新がすべてを解決するような錯覚を抱くようになっています。しかしエネルギーの世界は、熱力学第1法則と第2法則が支配する世界です。何もないところからエネルギーを作り出す技術、ないしはエネルギーの質の劣化を逆転させる技術、そのいずれもが実現不可能なのです。加えて、省エネ技術の開発が問題を根本的な解決に導くわけでもありません。したがって私たちがとるべき態度は、安易な技術革新信仰を捨て、より深いところでエネルギー問題に正対することです。それがエネルギー問題を考えるための第一歩になります。より深い所でエネルギー問題に正対するとはどういうことなのでしょうか。それは人類の歴史を顧みて、なぜ人類がエネルギーの消費量を増やしてきたのかを考えてみることです。増やしてきた理由が分かれば、減らす方法のヒントも得られます。

プリコジンの業績

*「ノーベル賞の科学 化学賞編 矢沢サイエンスオフィス」(技術評論社)

*「プリゴジンの考えてきたこと 北原和夫」(岩波書店)

 1977年のイリヤ・プリゴジンのノーベル化学賞の受賞はおそらく過去にノーベル賞の対象となったすべての研究の中で、いまだ科学が自信と確信をもって向き合うことができない最も困難な課題に贈られたもののひとつといわれています。

 当時、ブリコジンが取り組んだ研究は科学の主流を外れた風変わりな分野だと受け止められ、他の科学者たちからはシリアスな実証科学としての研究ではないと見られていました。しかしプリコジン本人と接触した者は直ちに自分が彼の研究を過少評価していたことに気づかされるのでした。プリゴジンは単に時代の先を行っていただけなのです。

 新しい科学である、複雑系は既存の科学に革命を起こし、生物学や化学、物理学における多くの根源的な疑問に対する回答を与えるのでは、と見られるようになりました。根源的な疑問とはすなわち、「生命とはどのようにして誕生したのか?」「脳は、そこに含まれる何十億もの神経細胞(ニューロン)によってどのように感情や思考、意識を生み出すのか?」「ダーウィン的な進化には偶然的な出来事以上の何かが作用しているのか?」「全体は部分の単なる総和以上の存在なのか?」等々です。

 熱力学理論に対するプリゴジンの偉大な功績は、ノーベル委員会が指摘したように、この理論の範囲を熱力学的平衡状態からはるか広大な範囲へ、すなわち非平衡状態へと拡大したことにあります。非平衡状態は、ある開放された系に物質又はエネルギー、ないしその両方の流入が起こるときに生じます。こうした開放系は外部環境との結びつきによってのみ存在することが可能であり、プリゴジンがこれを「散逸的な構造」と呼んだのもそうした理由からです。

 ブリコジン自身が、「散逸構造」「相関パターン」など様々な言葉を創り出しました。これらの中には、すでに物理学の中にすっかり定着したものもいくつかあります。一方、彼自身によって、「不安定性」「揺らぎ」「自己組織化」などの言葉が、物理科学分野だけでなく、人文科学、社会科学にも浸透していきました。プリゴジンの散逸構造の安定性を研究するために用いた手法は、非常に大きな一般的関心を引き起こしました。たとえば、都市の交通問題、昆虫の社会における安定性、生物学的な秩序構造の発展、がん細胞の成長等に見るようなきわめて多様な問題の研究を可能にしました。

 散逸構造における自己組織化は生物の世界では普通に見られますが、それは非生物的な領域でも生じており、最もよく知られている例がいわゆる「ベナール渦」です。

ベナール細胞

参考URL(https://www.youtube.com/watch?v=58acnTB2M18)

また、プリゴジンとハーケンが指摘した非生物世界における非平衡熱力学の今ひとつの有名な事例は「ベローソフ・ジャボチンスキー反応」です。

*参考URL(https://www.youtube.com/watch?v=eXL6jhe8S-w)

 プリゴジンは、早くから「世界にはなぜ秩序と構造が存在するのか」ということを問うていました。これからは、我々の未来をいかに選択するかを研究する科学が必要である、と主張し、自然科学と人文科学の統合こそ、プリゴジンの若き日の思いでありました。ブリコジンの若き日からの活動を思うと、物理学と哲学を別個の学問としないで、総合化を図ろうとしているようでした。

最新の知見である、ジェレミー・イングランドの「散逸適応」

*webサイト、「なぜ生命が生まれたか:生命を物理で解明する新理論」から引用させていただきました。(https://k-okabe.xyz/2017/10/01/biophysics-england/#_edn8)

*webサイト、「進化論を「再定義」する物理学者、ジェレミー・イングランドとの対話」から引用させていただきました。(https://wired.jp/2016/08/21/interview-jeremy-england/)

*「Every Life Is on Fire: How Thermodynamics Explains the Origins of Living Things, Jeremy England・Kindle英語版」から引用させていただきました。

(Web翻訳ソフト「DeepL 」を使用)

*「オリジン上・下(小説)ダン・ブラウン」(株・KADOKAWA)から引用させていただきました。

ジェレミー・イングランドの経歴
 母親はホロコーストを生き延びたポーランド系ユダヤ人の娘で、父親は保守的でないプロテスタントのルーテル派でありました。ボストンで生まれ、ニューハンプシャーの学園都市で育ちました。ユダヤ人として生まれましたが、ユダヤ教を学んだのはオックスフォード大学の大学院に入学してからで、現在は正統派ユダヤ教徒であると自負しています。2011年、マサチューセッツ工科大学物理学科に准教授として着任し、2019年、グラクソ・スミスクラインに人工知能・機械学習分野のシニアディレクターとして参画しました。

 ダーウィンらによる進化論の発表から、150年以上にわたり、進化が真実で自然選択がその駆動力だと認識してきました。私たちは、生物とそうでないものとの質的な違いに驚かされながらも、生物が他のものと同じ生命のない原材料から作られているという事実を前にして、いまだに一抹の畏れを感じているのです。

 「生命はどこから来たのか」という問いに対して、この後どのような答えを提示することができるのか、もう少し具体的に述べておく必要があります。たとえば、ビッグバンを理解しようとする試みとは、宇宙学者たちは、過去から未来のある時点において膨張する宇宙を表す美しい数式を考え出しました。けれども、ビックバンが起こった瞬間、つまり時間がゼロに等しい瞬間、つまり特異点にまでさかのぼろうとすると、数式は全て破綻し、無限の熱量と密度を持つ謎の点らしきものがあったとしか表してくれません。生物の進化もちょうどそれと同じで、遥か遠い過去まで見て、進化がどのように始まったかを知るのは不可能だということです。最初の生命体が、どうやって生命のない化学物質の海から出現したのかは分かりません。この物語の最初の1コマは、見ることが不可能なのです。

 もう少し詳しく説明すると、初期条件がわずかに違う2つの発展経路を見てゆくと、その相違が時間と共にどんどん拡大されていきます。その結果、初期条件を100%制御できない限り、正確な未来の状態を予測することはできません。発展は常に確率的であり、未来の可能性は豊かに開かれていきます。確率的世界観とは何を意味するのでしょうか。我々は世界が莫大な数の分子からなる系の、ひとつの軌道のように思っていますが、実際には、それらの莫大な数の分子の運動は極めて複雑であり、だから確率的な記述の方が軌道を追うことよりもよいのではないか、と考えました。つまり、確率的な記述こそがむしろ実体であるという考え方です。それが、世界の歴史、つまり宇宙の始まりから生物の進化など、すべてのことに多様性、複雑性を生み出して来たのだとも考えられるのです。

 遠い昔、ある特別な化学反応が最初に起こった水たまりを、いつか正確に映画化し、その映画が過去に起こったことを忠実に再現していることを、現在収集したデータを使って証明できるという、少年のような希望を持つことができるでしょうか。このようなアプローチが空想である理由はいくつかありますが、最も基本的な理由は、何十億年前の地球で何が起こったか、を正確に示す証拠が現代に存在せず、今後もおそらく探すことができないということなのです。犯罪現場や考古学的発掘物も、すべての手がかりが踏みつけられ、いじられ、適当に並べ替えられると、科学捜査のために取り返しのつかないことになるのと同じように、最古の生命の前兆も、それらと同様に再現不可能なまでに混乱させられたに違いないのです。DNA、RNA、タンパク質は、細胞内において生命活動の中心となる高分子ですが、いずれも水中で数百万年以下の時間スケールで粉々になってしまいます。そして、その残骸を検出することによって、我々が知っている生命の分子的起源を再構築することは、愚の骨頂です。

 イングランドが提案したものは、非平衡熱力学という物理学の一分野に基づいた一連の考え方があり、生命の出現の段階的プロセスを理解しやすい単位に分割する方法で表現することです。物理学のレンズを通した生命は、正確な物理的定義を持つ、特殊だが異なる現象のオムニバス(多数のものを含むこと)であると認識すれば、これらの現象の出現を、生命らしい自己組織化の小さな、制限された成果、つまり限定的なことではありますが、今後さらに同時並行的に研究することができるのではないかと考えました。

 この議論の中心となるのは、「散逸的適応」というアイデアです。この「散逸的適応」は、物質が周囲のパターンに対応するために最適な形態に変化することを意味します。

 著書「Every Life Is on Fire」の中で、ジェレミー・イングランドはこのように語っています。彼はユダヤ教のラビです。生命現象を生み出す物理の背後にあるものは、常識の中で非常に軽視されがちなものばかりです。これをジェレミー・イングランドは、神の息吹は粒子を波立たせるものと表現しています。また、イングランドは、モーゼが、イスラエル民族をエジプトから連れ帰る行程を、物理的な法則に従うという機械的なイメージのある「奴隷化」と、生き方を自ら選択する「解放」を対比させることで、モノから生物に変わることを説明する物語ではないかと考えました。この物語の中で出てくる、モーセに差し出された蛇は、少なくとも2つのことを想起させます。第1に、一見無言に見える自然界が、実は何か意味あることを言っているかもしれないということ、第2に、人は創造主が望まないことを選択することができるということです。彼は、この蛇の出現の意味するところは、一見無意味に思えることに意味があること、そして、「できること」ではなく「すべきこと」という倫理的意義があることを教えてくれているというのです。

 私たちは、科学的な説明だけで、この世の出来事を理解することができません。それは、いってみれば道徳というようなものが生命の発生する最初から合わせ持っていたから、現在まで生物の営みを維持してくることとができたのかもしれません。生命の発生は、日常的な現象ではありません。

 ジェレミー・イングランドは進化にとって自然選択よりさらに根本的な何かを発見したのかも知れないといわれています。生物だけでなく無生物においても発展を促す何か、そのシステムにより単なる物質を生命に導き、さらに生命をより効率的なエネルギー利用に向かわせる何かなのです。ジェレミー・イングランドは生命を、生物学と物理学で表現する必要があると主張します。生命らしい振る舞いが、最初は存在しなかった物質中に確実に出現するためには、どのような物理的条件が必要なのでしょうか?

 前段で、イリヤ・プリコジンの業績、「散逸構造」について紹介しましたが、このような発見をしたプリゴジンでも、「散逸構造論」だけでは生命誕生の説明にはならないとしています。少なくとも非平衡状態の開放系において、混沌からどのような秩序や構造が生まれるかは、全て純粋な確率によるものだからです。僅かな温度差でも、ミクロの異物の混入でも、ほんの些細な系の初期値の違いによって自己組織化の構造は大きく変化すると考えられます。おそらく生命の誕生もしかりで、「神はサイコロを振った」、つまり、たぐいまれなる初期条件を神は創造したと、表現できるかもしれません。

 ジェレミー・イングランドは、MITで教鞭をとるようになってから、彼は理解に苦しむ非平衡統計力学の理論的な部分を深く掘り下げていくうち、その抽象的な数式のなかに、「生命のようなもの」のふるまいに対する“含み”があるように思えてきたといいます。

 彼はこういいます。「ピンときたとか、そのようなひらめきがあったわけではなく、間違いだらけの仮定から始まって、現在のセオリーに至るまで、緩やかなプロセスでした。」その大胆かつ簡潔な彼のアイデアとは、万物はいかにして与えられた環境に適応するのかを数式で表した「散逸適応(Dissipative Adaptation)」と呼ばれるものです。「生命のようなもの」の発生から、チャールズ・ダーウィンが提唱した「進化」に至るまでは、石が坂を転がるのと同じほど明らかな物理現象のはずです。そこには地球外でも通用するような普遍性があるに違いありません。

 ところで、物理学が生物を描写し得るのは、生物そのものの「距離、位置、時間、粒子の数、エネルギー、温度」などで、それらに生命の息吹を感じることはほとんどないでしょう。しかし、すべての生物はもれなく原子や分子でできていて、その描写には機能も生存も読み取ることはできないかもしれません。我々の「生物とはこういうものだ」という固定観念さえ取っ払ってしまえば、そこには純粋な物理の法則が働いていることを見出せるはずです。物理学が描写するものにも、これこそが生物特有のものであるとはっきり認識できる特徴はあると思っています。そのひとつは、エネルギー源を捜索することです。そのほか、検知・予測などは、生命活動に特有な性質でしょう。そこには地球外でも通用するような普遍性があるに違いありません。

 それでは、進化論でいうすべての生物が得意とすることである、「環境への適応」とは、どのような物理的プロセスを踏むのでしょうか。言い換えると、自らが置かれた環境からエネルギーを見いだし、消費・拡散することなのです。

 イリヤ・プリゴジンの「散逸構造論」は、確かに生命活動にもみられる物理現象です。ジェレミー・イングランドは、「散逸構造論」から一歩を踏み出し、次のように考えました。外界からあるシステムにエネルギー(太陽光のような電磁波)が注がれると、大気や海に「熱」が加わります。このような連続的な熱の不可逆性が増すにつれ、開放系はある方向に「進化」せざるを得なくなってきます。その進化のかたちとは、物質がより効率的に自由エネルギーを吸収し、散逸させる構造です。つまり、粒子の塊は、より多くのエネルギーを吸収することを促されて、エネルギーの流れを円滑に行うために適した構造をつくるような自己組織化をするのではないかと考えました。それは、エネルギーをより効率よく分散させる構造になるために、自ら整然と並んだ分子の集まりのことなのです。

 イングランドの簡潔な説明によると、たとえば竜巻は、圧力を回転力に変えて消耗させ、それによって高圧の集中した領域を消し去るという、自然の仕組みなのです。また、細かく起伏した川床についても同様で、その形状が速い水流のエネルギーを妨げて、散逸させます。他の例では、雪の結晶は、多面構造によって光をあらゆる方向へ無秩序に反射し、太陽のエネルギーを分散させているといいます。粒子は外界からのエネルギーの流れに逆らうことなく共振するとき、より多くのエネルギーを周囲に散逸することができるのです。つまり、エネルギーの流れの方向に沿うように粒子の塊は自ずと向きを変えるようになります。こうしたイングランドの考えは、非常に直感的ではあります。エネルギーをよりよく分散させるために、物質が自ら秩序を作り出すわけです。自然は無秩序を促すために、秩序の小さなポケットを作ります。そうしたポケットのようなシステムは、混沌を高める構造を具(そな)え、それによってエントロピーを増大させるのです。つまり、効率よく混沌を作り出すには、いくらかの秩序が必要ということになります。

 彼はこの一連の状態を物理的な数式で描写し、それを「散逸適応」としました。これが意味するのは、大気や海のような熱浴の中では、原子の塊は時間の経過とともに機械的・電磁的・化学的な『仕事』のエネルギー源に、うまく共振するようになるということです。この性質をより明確に定義するためには、粒子の集合体における微細な挙動と粗大な挙動の違い、そしてその挙動の希少性や多様性が、無数に組み合わされる微細な破片の相互作用によって決定されることを考えなければなりませんでした。

 このように、物質がどのように組み合わされうるかという空間を探索することは、その物質を通過するエネルギーの流れという観点から最もよく理解されるプロセスであることがわかりました。具体的には、物質の構造がエネルギーの吸収、展開、散逸にどのように影響するかということです。

 一つの生物全体を、より単純な部品の寄せ集めの上に立つ、統一された単一の現象と見なすことができます。散逸的適応とは、多くのパーツからなるシステムは、それらのパーツの配置によって、変わることが考えられ、要するに、吸収されたエネルギーは、時間の経過とともに断片の配置を変化させ、より多くのエネルギーを消費するように最適化されることである、とジェレミー・イングランドは主張します。生命は世界の核心ではありません。世界が、より多くのエネルギーを散逸させるために作り出して繁殖させたもの、それが生命ともいえるのです。

 さて、子供がめちゃくちゃに鍵盤を叩いているかのような、ピアノの耳障りな不協和音が鳴り響いています。同じ音を並べ替えて、秩序を加えると、まとまりのない騒音ではなく、ドビュッシーの心の休まるメロディーに変わります。混沌を軽蔑せよ、秩序を生み出せ、これが我々の脳の基本プログラムです。人間には、正にこの通りの傾向があります。混沌を嫌い、秩序を好むのです。ジグソーパズルを組み合わせたり、壁の絵を真っ直ぐに直したりしたくなるのも、秩序を生み出すことに同じ喜びを感じるからです。秩序を求める性質は我々のDNAに刻み込まれているのであり、だから人間の精神が作り出した最も偉大な発明がコンピュータであるのも不思議ではありません。混沌から秩序を生み出す助けとなるモノとして、そもそも設計されたのです。実のところ、スペイン語でコンピュータは、『オルデナドール』と言います。文字通り『秩序を生み出すモノ』と言う意味です。

 また、ジェレミー・イングランドは現在話題になっている、機械学習(AI)と散逸適応のメカニズムとの間には、数多くの類似点があり、かつ重要であるといいます。彼はコンピュータで行う、機械学習のような現象が生物の中で行われているかもしれないという予想を立てています。ここ最近の10年間で、いわゆる機械学習の技術の性能と多様性は、飛躍的に向上し、これまで人間の頭脳にしかできないと考えられていた複雑な関係を計算で正確にモデル化する方法を見つけられるようになりました。顔認識や言語処理はその代表例ですが、これらのアプリケーションの多くに共通する原理は、計算の入力を出力に対応させる方法を記述する数値パラメータの長いリストを、顔の写真やテキストの大規模データセットを使って学習させるというものです。プログラムのアルゴリズムは、高次元のパラメータ空間を探索し、計算モデルが学習に使用したデータと高品質のマッチングを示すことを可能にする、特別で例外的なパラメータの選択を見つけるようにプログラム自身が最適化します。このようなことは、人工知能のタスクを実際に経験するとわかるのですが、物理現象だけで、知的と思われる作業ができるのです。

 それでは、駆動する多粒子集合体はすべて機械学習の一種であると断言できるのでしょうか。おそらく、この用語の定義を過度に拡大しない限り、そういうことはないと思います。しかしながら、並べて比較してみると、それぞれのケースで起こっている数学的構造が複数の点で似ていることが見いだせるのです。このことは、この2つの極の間のどこかに、まだ未解明のスペクトルの可能性があり、分散と再集合の際に、何か役に立つ計算をする進化した構成要素があるかもしれない、とジェレミー・イングランドは語っています。

 我々はこれまで、生命の誕生は混沌から生まれた奇跡的な事象だと教えられてきましたが、「散逸適応」が指し示す「生命誕生の奇跡」とは、物理的法則が幾重にも作用した結果であるということになります。しかし、なるほど、開放系にある原子のスープの中で、エネルギーの散逸が秩序や構造をつくり出すのは、実に「自然」なことなのかもしれません。時間が経つと、自己組織化した原子の塊は確率の赴くまま、さらに複雑な構造へと進化し、おそらく、その中から「生命のようにふるまう何か」が創発的に出現すると考えられるのです。進化論的に定義すると、「散逸適応」は、とあるシステムにおいてエネルギーをより効率的に拡散させられる「もの」をより優遇します。生物の進化に無くてはならない「生殖」をする理由も、より多くのエネルギーを周囲に散逸させる個体を増やすため、と説明できるかもしれません。イングランドによると、エネルギーの散逸に最も効率がいいのは、他でもなく自分の複製を作ることなのです。

 このように考えてみると、物理学や生物学は、現時点においては、まだ生命誕生の第一歩を研究するような学問ではありません。世界における現象から英知を取り出すことはできますが、現段階では、実際に起こっている現象を応用して利用することしかできません。生命現象は科学から見ると、いまだに奇跡であると思います。その奇跡を実際に経験している人間にも、その第一歩はよくわからないのです。

復活されたイエス・キリストと共に歩む自己救済3その5に続く

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